巻之六 光泰之伝上
伊予史談会双書第6集 北藤録 S57年11月13日 伊予史談会 編集発行
加藤光泰の伝記に、斉藤新五郎についての記述あり。
永禄六年のところに、竜興弟新五郎ヲ信長公へ渡サルヘシト也。是非ニ及ズ開城、竜興家人三千五百十八人、鹿垣ノ内ニテ相改、斉藤新五郎十一歳、
これによると、斉藤新五郎は逆算すると1553年生まれとなり、信忠より四つ上となる。
落城年に違和感があるものの、生年不詳なので参考までに。
この伝記に、斉藤竜興に仕えている時、信長と合戦中、加藤光泰は黒纜を懸け、扇子の物をサシ、城外へ打って出武勇を振るった。 その様子を信長がご覧あって、感じたまい、秀吉にそれを話したと言う。
その後、竜興が没落した後、秀吉の家臣になった。
加藤光泰の伝記に、斉藤新五郎についての記述あり。
永禄六年のところに、竜興弟新五郎ヲ信長公へ渡サルヘシト也。是非ニ及ズ開城、竜興家人三千五百十八人、鹿垣ノ内ニテ相改、斉藤新五郎十一歳、
これによると、斉藤新五郎は逆算すると1553年生まれとなり、信忠より四つ上となる。
落城年に違和感があるものの、生年不詳なので参考までに。
この伝記に、斉藤竜興に仕えている時、信長と合戦中、加藤光泰は黒纜を懸け、扇子の物をサシ、城外へ打って出武勇を振るった。 その様子を信長がご覧あって、感じたまい、秀吉にそれを話したと言う。
その後、竜興が没落した後、秀吉の家臣になった。
織田信長本陣跡
姉川の戦いにおける、信長の本陣跡。陣杭の柳と呼ばれる木が、竜ヶ鼻近くにある。
信長が陣太鼓をかけて指揮をしたと言う伝承があり、本来は陣鼓と書いたとも言う。また信長本陣の柵に使われた生木が自生したとも伝わる。
現在四代目で、H元年に三代目の枝を取ったものと言う。
その柳から数百メートル後ろに、信長を暗殺しようとした、遠藤の墓がある。
これは、浅井勢におされて本陣が数百メートル後退した事を証明するもので、これを某散策会で紹介したら、皆さん???状態でして。通説と違う事を浸透さすのは難しいですね。
信長が陣太鼓をかけて指揮をしたと言う伝承があり、本来は陣鼓と書いたとも言う。また信長本陣の柵に使われた生木が自生したとも伝わる。
現在四代目で、H元年に三代目の枝を取ったものと言う。
その柳から数百メートル後ろに、信長を暗殺しようとした、遠藤の墓がある。
これは、浅井勢におされて本陣が数百メートル後退した事を証明するもので、これを某散策会で紹介したら、皆さん???状態でして。通説と違う事を浸透さすのは難しいですね。
姉川合戦の実態を探る
狂乱と冷徹の軍事カリスマ の連載20回
毎月楽しみの、桐野様の連載もの。信長公記を読むと被ってないかと、心配したが、違う切り口でかかれてる。表1 姉川合戦における両軍の兵数比較表は、出典明示で、今後便利に使えるもの。
で、出典明示で示された、「南部文書」について、桐野様の見解を踏まえながら、述べられているのは、興味深かった。姉川古戦場は、何度も訪れてるので、なんとなく状況が分かるので、なおさら面白い。
例の眞鍋〜のたかだかとの記述と同様、この南部文書には、例の大音声にて仰せければと言う記述が出てくると言う。
ところで、桐野様は、首巻、首巻、と何度も書かれてますが、どの公記を使われているんでしょうか。
毎月楽しみの、桐野様の連載もの。信長公記を読むと被ってないかと、心配したが、違う切り口でかかれてる。表1 姉川合戦における両軍の兵数比較表は、出典明示で、今後便利に使えるもの。
で、出典明示で示された、「南部文書」について、桐野様の見解を踏まえながら、述べられているのは、興味深かった。姉川古戦場は、何度も訪れてるので、なんとなく状況が分かるので、なおさら面白い。
例の眞鍋〜のたかだかとの記述と同様、この南部文書には、例の大音声にて仰せければと言う記述が出てくると言う。
ところで、桐野様は、首巻、首巻、と何度も書かれてますが、どの公記を使われているんでしょうか。
戦国大名浅井氏と北近江
浅井三代から三姉妹へ
H20年10月25日 長浜市長浜城歴史博物館発行
これは、久しぶりに出会えた、カラー入りもある浅井本。ありふれた、聞いた事が何回もあるものではない、新鮮なものだった。
伝真柄直基所用の野郎頭兜は、藤本正行氏の著作で触れられていたので、写真でも見た事がなかったんですが、展示されていたようですね。見に行けばよかった、、、
また、信長ものでは、本朝名将百図 で、甲冑姿で、床机に座っている総見寺本とは違い、畳に座っているもの、また狩野永徳写しの肩衣袴像の写しで、虫食い部分を載せており、現大徳寺本坊像が、原本ではない、指摘をされていたのは、興味深かった。
その他にも、地元ならではものといえようか。
ただ、今度大河主役の江に関しては、、、それはまた、おいおいに(笑
H20年10月25日 長浜市長浜城歴史博物館発行
これは、久しぶりに出会えた、カラー入りもある浅井本。ありふれた、聞いた事が何回もあるものではない、新鮮なものだった。
伝真柄直基所用の野郎頭兜は、藤本正行氏の著作で触れられていたので、写真でも見た事がなかったんですが、展示されていたようですね。見に行けばよかった、、、
また、信長ものでは、本朝名将百図 で、甲冑姿で、床机に座っている総見寺本とは違い、畳に座っているもの、また狩野永徳写しの肩衣袴像の写しで、虫食い部分を載せており、現大徳寺本坊像が、原本ではない、指摘をされていたのは、興味深かった。
その他にも、地元ならではものといえようか。
ただ、今度大河主役の江に関しては、、、それはまた、おいおいに(笑
坂井まさなお?
先日、安土城考古博物館の長命寺文書を見に行ってきたのですが、坂井の名が「まさなお」ってフッてありました。あれっと思い、谷口先生の辞典を確認すると、まさひさになってまして、そう覚えていた私は、安心したんですが。 まあ、どっちでもいいんですが(笑
信忠の画像も展示されていたんですが、母は吉乃となってました。博物館で、吉乃はいただけません。武功夜話によると、などと注釈を入れるべきです。
信忠の画像も展示されていたんですが、母は吉乃となってました。博物館で、吉乃はいただけません。武功夜話によると、などと注釈を入れるべきです。


