加賀・能登歴史の扉 平成19年 渡辺江美子著
丁度一年前ぐらい、大河ドラマ江で、茶々と嫁ぎ先として秀吉が万里小路家を選んできました。
その万里小路家充房の妻妾に関しての論考。
著者はその論考に於いて、安心していて信頼のおける研究者である渡辺江美子氏。

摩阿の没年を清涼寺過去帳をひいて、論考されています。
最近東大史料から、はじめて閲覧し確認しました。
信長の名があったのも驚きでしたが、信長忠臣とは誰なのか謎です。
愛知県史研究 第15号 平成23年3月
村岡幹生著
これを今読んでます。
伊勢神宮の弾正忠入道の見解、信勝との位置関係は資料を示されていて分かりやすいです。
橋場さんの、家督簒奪はスルー。
かねてから信勝が、父の晩年の居城であった末盛城を引き継いだことから、信勝が家督を継いだのではないかと思っていたので、この論考は興味を惹いた。
 しかしこのあたりは、かなり複雑ですね。
特集 信長・秀吉・家康の城 2012年6月号を買った。
最新の情報が入っていることも踏まえ、特に小牧城は佐久間が入った墨入り石の論考があったので、興味を惹いた。
信長の城
「城」の概念を一変させた、覇王信長の象徴では、安土城について。
天正10年6月以降の景観として、伝羽柴秀吉邸を指摘され、写真付きで埋没石垣が掲載されている。
当時は信長以前のものが、出てきたので埋め戻したと聞いてましたが、信長後と解されているようです。
この論考で、主要部の石垣の隅が残っていると述べられているが、果たしてそうでしょうか。
天主台の石垣は、天端が分からないほどないと思われるし、伝二の丸にしても、昭和の修理によって相当改変を受けているのは、修理報告書の掲載写真を見れば一目瞭然。
 A氏がそれ以外にも、相当手を入れているようなのですが。
天正10年6月以降でも、状況は変わっていっていると思われる。
高島市山本文書から信孝の屋敷用の材木云々というのもスルーですし、信雄が秀吉の年賀を受けたという資料もあるので、伝秀吉邸が三法師なら、信雄はどこに居たというのかという問題もあるのではないでしょうか。信孝のを信雄にという手もあるが。

 私は貞享古図の伝秋田城介邸跡が三法師が居た場所だと。三法師は城介息と言われていたという資料もあるので、その伝承が残ったと思われます。その建物は後に八幡城へ移され、後に本國寺へと渡っていき、秀信邸の伝承が残っていることからも、そうだと思うのですが。
 それを示す様に、信忠邸跡は石垣はもちろん発掘調査によると痕跡が全く検出できなかったという。
こちらのほうが、分がありそうですが。
 
昨日 企画展 古文書で知る南山城の中世・近世 国人・社務・神人を見に行った。
場所は京都府立山城郷土資料館。
木津川沿いで車でないと不便なところ。
信長文書が二点展示されていた。一つは珍しい双龍形のもの。
それに関連して
5月19日(土)14時〜16時半
狛文書にみる南山城の戦国時代 天野忠幸氏 が講演されます。

帰りちょっとより道して図書館へ久しぶりによってみて何点か論文をコピーした。
そのうちの一点、上記天野氏の論考。
地域研究 いたみ 第40号 平成23年3月
荒木村重と織田政権 伊丹博物館

上記タイトルが入った辛辣な信長論を展開されています。
反論もしたいところですが、伊丹では仕方ないですね。
2012.04.22 本郷 
2011年5月 93号
若き日の清盛、若き日の信長 樋口大祐著
視聴率で苦戦をしいられる大河「平清盛」
その史実ではなく、映画でその両方を演じた市川雷蔵について。
渡哲也は大河で両方を演じましたが、いつかは松山ケンイチが信長を演じる日がくるのでしょうか。



2012年1月 97号
参内しなかった信長 藤井譲治著

今年入ってからのものですが、いかにもという題です。
いつか、いつか。