泰巖宗安記
織田信長に魅せられた管理人が、信長に関するあらゆるものを(女性史を中心に)紹介して行きます。
聖応寺
梁田出羽守の墓所、上記お寺へお参り。
織田信長三十六功臣で、浅野清氏が論考されていて、写真も掲載されている。
しかし、本当の目的は意外だが信長の位牌を安置されている。
おそがけに行ったので、目前にて拝見出来なかったが、住職から面白い話が聞けた。

梁田の子孫は、新潟にいらっしゃるらしい。字は違ってるようだが。
沓掛城は、あの城跡ではなく、この寺の裏手だと言われてたのには驚いた。
そういえば、三王山他陣城を見て回った後だったので、確かに、沓掛城は平城みたいですし、
そうかなと、思って調べようと思ったのですが、時間切れでした。
他、平野小法師他、住職と話が食い違う事もあったが、(色々書けませんが)楽しいひと時でした。

豊明市史所収
天徳寺殿一品前右相府泰岩常安大居士

めずらしく、総見院ではない位牌である。
成満寺
桐野様のリンク先、中村武生氏ブログで紹介されていたお寺。
歴史記事だけで無く、私事まで書かれてましてよく訪問させていただいてます。
上記お寺は、岡田有紀子さんの墓所です。
私はファンではありませんでしたが、衝撃的な出来事でした。
近くに行ったので、お参りさせて頂きましたが、表門横に由緒書きが、

祖父江弾正正成(信長家臣)姉川の戦いで打ち死とか出てきたり、開基した青木氏が領主織田三七郎に従わずとか?出ていてそちらも、興味深かった。
岡田有紀子さんのお墓は、たくさんの花がお供えされていました。

この事件が載っているフォーカス(懐かしい)があるのですが、その写真以上に衝撃的な写真だったのが、130年前の日本はこうだったで、さらし首の写真があったからで
その写真は、横浜、吉田橋でさらされた元谷田部藩士清水清次。
他、ヒュースケンの遺体写真、生麦事件の被害者リチャードソンなどが載っていた。
大河まっただなかの、タイムリーなものを思いだした。

メモ
信長ラーメン
清須市西田中蓮池110
名古屋一宮線(清洲城の東側の通り)キリンビールを、北へ行ったアンデルセンを右折。
数百メートル走って一つ目の信号を左折。
右側に見えます。
三の山
私が初めて三の山を知ったのが、織田信長のすべてに掲載されてる、
信長合戦辞典の赤塚の合戦の項。
自分で調べる事もせず、そのままにしてましたが、桐野様連載の歴読誌にて、
興味が再燃し初めました。
かぎや様のブログで、ご指摘の砦であったとの事(名古屋市史)
それも含めて、自分の目で確認してきたいと思います。

合戦において、専門知識が無いので、ここに信長が来たのか、、、、
しみじみ、、、で終わるかも知れませんが(笑

数ある信長の合戦で、現場に行ってないのが、
この赤塚と雑賀なのだが。
赤塚。楽しみな場所である。
天下布武古銅印
岐阜県羽島市 西方寺
上記お寺には、信長が使用した天下布武印が残されている。
楕円形の天下布武印である。
寺伝では、何故か家康から九世祐慶に送られたものだそうです。

西方寺は、信長の命で加賀野井弥八をして伽藍を焼き払った際、
ご本尊の胸めがけて突き上げたところ、鮮血が流れでたとの、ビックリの寺伝あり。

ここも、未踏の地である。大良もそうだが、羽島市いつかは行きたいものです。
有岡城跡・伊丹郷町遺跡 第316次調査
平成20年4月19日(土)現地説明会
一年半振りの伊丹。スッポンが出土したというので、出かけた。
場所は、国道沿いのニトリの南側。かなり、大きめの場所で、堀が出てきたと言うので早速拝見。
人出も多く来られていた。
有岡城は、そうがまえが有名で、本丸がある主郭部をぐるりと巡る土居が巡らされていた。
発掘場所は、本丸と上臈塚砦のちょうど間ぐらいのところに、堀があったというもの。
その堀に木が何本添えられているのが残っていて、それは堀に添って塀があったのではとの説明。
その塀は、内側ではなく、外側に有り、不思議に感じた。

スッポンは、まじかで展示されていた。他にも猪の骨なども横に展示されていた。

その後、伊丹図書館と池田図書館へ、北摂の歴史所収の信長が越えた峠を捜しに行ったが、どちらも蔵していず、分からなかった。荒木村重研究会の会報「村重」を拝見。
さすが、村重を題してるだけあって、信長の事は良く書かれていなかった。
太田牛一の子孫の墓が、昔伊丹の寺にあったという。是は、麻田藩に仕えた系統とのこと。