泰巖宗安記
織田信長に魅せられた管理人が、信長に関するあらゆるものを(女性史を中心に)紹介して行きます。
戦国史研究 第55号
昨日購入した冊子。
何で欲しかったのか忘れていたが、見て思い出した。
尾崎晋司著 今川領国下の分限帳と給人検地
において、三河の小嶋源一郎という人物が出てくるのだが、この人物と、小嶋民部との関連が気に
なっていたが、この論文自体には、勿論ヒントはない。
しかし、民部の名と、この小嶋氏の共通点はある。
また、じっくり考えてみよう。だから小嶋民部からなかなか抜け出せない。

信長関連の論文では
永禄九年の畿内和平と信長の上洛 和泉国松浦氏の動向から 「史敏」4
というのが見受けられる。
織田家 翰譜抄
面白い資料の紹介。一部抜粋。

宗家織田信包卿略記
天文五年(1536年)尾張古渡城にて城主信秀の第四子として生まれ、幼名を中根殿又は市之佐殿等と云ヘリ。
幼少より温厚謹直にして、兄信長とは性質全く相い反し、戦を好まず、平和を愛し、極めて温順篤実なり。中略
元亀元年四月朝倉討伐の出陣に際しては、領地伊勢より出でて、岐阜城を留守す。
この討伐に際し信長卿背後より浅井勢の襲撃にあい、危険に陥ちんとするの報あるや、小谷の城めざして岐阜城出陣の間諜を、つぶての如くに放たせ、この間諜のとばす流言により浅井勢を二分させて、信長卿の背後を襲う勢力を半減せしむ。この事により信長卿の窮地を救い、無事京へ引き上げの成功をとげる。この功績抜群として褒章アリ。

この記録は信包の第二子信久の子孫(高松市)に残るものという。
絵本織田信長記
歴読誌の信長特集。
何といってもその分量の多さに驚く。
表紙は、安土城。着色を加えた天主は最上層の屋根の色が違うのがイイ。
本編はその量から、どれを取り上げるか迷うほど多い。
信長、将軍義昭を攻める
では梶川弥三郎が一番乗りを果たすのを描かれてる。
しかしながらこの絵、柳山方面から槇島城へと渡河している背後に山が見えるが、
あの方面に見える山は後に伏見城が築かれる木幡山。
しかし、この山並みは宇治の山並みに見える。
どうやら、作者は槇島城を東側と考えて描いたのではないでしょうか。

鈴木重幸、信長を狙撃す
では天正四年の本願寺攻めのおりの負傷を、鈴木の狙撃としている。
急所を外れていたが、わざと落馬して敵の目を欺くとは面白い。
これが、智鉄丸だったんですね。

信長、凶夢を見る
は、面白い。信長が午年である事の証左の一つとしてあげられよう。
また、この頃から正月二日に見る夢は、初夢だったんですね(笑

織田信長研究 最前線では各専門の方の論考がずらっと並ぶ。
金子氏の「信長記」研究の現在では、共同研究を行っていらっしゃる代表者さんの中間報告とも
いうべきものでしょうか。
信長記の研究成果の経緯を書いていらっしゃり、問題点やこれからのありようなど論考されてる。
角川文庫の信長公記は、注釈や読み下しなど使いやすいものとなっているが、もう何十年も経過しているので、新しく分かった事もあるでしょう。
一番気になってるのは、昨今の市町村合併による現在地の違い。
例えば、勝幡城跡は現在愛西市、角川版は佐織町。
この調査後のテキストに期待する。
この項の最後に自筆本入手における系図の載せられてる。
旗本花房家からの伝来の手がかりの今後の成果に期待している。

この本の広告に、今後楽しみな予告を見付けた。
歴史と古典
信長公記を読む 堀新編 吉川弘文館
尾張 織田一族 谷口克広著 新人物往来社
が刊行されるそうだ。発売が待たれる。
狂乱と冷徹の軍事カリスマ
連載も8回目になりました、桶狭間の最終章。
桶狭間について、論点と主な研究家の名を示しまた、桐野様なりの解釈を分かり易く
解説されている。
中島砦へ信長が向かおうとした時、見物人が帰ったのを、先日三ノ山から、善照寺へ行って見て分かる様な気がする。それまでは、味方の圏内で、敵も見えないし、また安全であったが、ここ善照寺砦は、一番高くて見晴らしの良い所でもあるが、逆に敵方からも丸見えである。
佐々らの敗戦を見て、恐怖を憶えたのも無理はないでしょう。
桐野様の言う、帰ったのは視認できたものと思われるというのは、当たっているように私は感じた。
個人的には轡を取って止めた、家老衆がついていったかどうかが気になる。

義元の本陣についても、気になっている漆山について論考されてる。
最後の指摘である、漆山より西をはじめ志向したのではというのは、なるほどと感じた。
桶狭間は終わってしまいますが、他の所で新たなる論考を期待しましょう。
信長と天皇
公武結合の王権構造 堀新著
天皇・天皇制を読む 歴史科学協議会編 東京大学出版会

話題のI氏の展開された、天皇論が述べられてる。

学会の信長好きは、別の言葉でいえば天皇嫌いとなる。
義満の皇位簒奪を論じた拙著「室町の王権」に対して概ね好意的であった学会が、
正親町天皇の政治力を評価した拙著「信長と天皇」に対し一転して厳しい見方をとるのも、
こうした学会の習性をよく表している。

いやいやいやいや、と突っ込みたくなるが、その本読んだ後の違和感は、
学会でも同じだったんですね。堀氏の反論も頷ける。

追記
Tm殿
まだ、I氏の論考読んでませんが、気長に待ちます。