泰巖宗安記
織田信長に魅せられた管理人が、信長に関するあらゆるものを(女性史を中心に)紹介して行きます。
氏郷記を読む会研究レポート
昨日、近くまで行ったので大徳寺旧昌林院跡へお参りした。
蒲生氏郷の元々の墓所。
現在は改装されて黄梅院に墓がある。
お参りしたかったのは、次男利政室籍姫の墓。

例えば歴史読本利家とまつをめぐる女たち 2002年9月号
加賀藩 藩主夫人 に於いて 宇佐美孝著
では、籍の法号は松雲院とのみ伝えられ、没年も未詳である。
関が原の合戦を境として、大名の室として名を歴史の中に刻んだであろうはずが、
夫の領地廃絶に伴いその名も歴史の中に埋没していった。

とあるが、籍姫は大徳寺に埋葬されている事が確認できる。
昌林院過去帳によると、
松雲院殿竜樹宗吟大禅定尼 氏郷公女 寛永十三年四月四日
位牌アリ 石塔アリ
加賀前田孫四郎利政正室。
とある、信長の外孫は、意外に近くに埋葬されていた。
阿弥陀寺墓 2
某所が休館で、先日の記事が昔のノートからの転載だったので、
気になり、阿弥陀寺に久しぶりにお参りした。

気になっていた、森三兄弟から猪子兵介までの墓石群。
と言っても、ここは並び建ってるのでは無く、読めない墓石を置いてあるという感じ。

津田信貞の墓前にある、小さな墓を前から気になっているのだが、
今日再度確認すると
林屋宗光禅門 右に天正十年 左に六月二日
と、読めると思うのだが、阿弥陀寺位牌に見当たらない。
阿弥陀寺文書にある、不明者四人の内近いのが桑原吉三だが、法名は花屋宗栄。
他に近いのが、五男津田源三郎の林庭宗松。
他には該当者がいないように思うので、過去帳の作成時期は少しずれる事が指摘されてるので、
もしかしたら、書き間違いでしょうか?私の見間違いでしょうか。
また、後ろにある一番右端の墓。
目を凝らして見たが、読めない(笑 下の禅定門しか確認出来なかった。
阿弥陀寺 墓について
織田信長本廟と称される、京都寺町阿弥陀寺の墓地。
門をくぐって、墓地に入ると正面に見えるのが織田信長と信忠の墓。
信長の墓塔のほうが、やや大きい。
向かって右、下に見える同じ墓塔が信孝の墓。

その周りに見えるのが、本能寺の変の際、討ち死にした者の墓。
手前から
天月宗三 福富平三
津田信貞
月江宗春 森乱丸
花月宗泉 森力丸
祐月宗徳 森坊丸

ここから、猪子兵介まで墓石が磨耗して読めない。
二番目が、孝岳全忠 津田九郎二郎

猪子兵助
因叔常縁 薄田与五郎
雄巌宗英 津田勘七郎
江月宗範 団平八郎

正面、信長信忠墓の後ろ
総供養墓
芳林宗恩 湯浅甚介
大龍寺 津田信広?織田信康?
不明

阿弥陀寺文書によると
一、惣墓の外、廟所石塔別に有之候分、森蘭丸、福富
平左衛門、津田権之佐信貞、津田九郎次郎、赤座七
郎右衛門、團平八郎、湯浅甚介、櫻木傳七郎、青柳
勘太郎、桑原吉三、右之外惣墓ニ一所ニ有之、

とある。これを見ると、見当たらないのは、赤座、櫻木、青柳、桑名の四名。
これらが、津田九郎次郎墓の回りの不明墓のあるじと思われる。
墓参の際は、参考まで。

参考までに、墓地に入って右側に斉藤新五郎の大きな五輪塔があり、
信長、信忠墓を右側に行くと、清玉上人の墓がある。
大雲院
織田信忠の菩提寺。
元々、旧二条御所にあったものが寺町の創生とともに移転。
現高島屋付近にあった。
管理人が歴史に目覚めた頃、広大な墓地がまだ完全に移転する前でした。
屋上から見る、墓地の風景は何となく覚えている。
信長信忠の墓より有名なのが、石川五右衛門の墓がある事である。
三十三回忌に貞安が建立したものという。
貞安の人となりが、分かる。

この墓、バクチにご利益があるといい、墓石を削って持ち帰るものが多く、削れている箇所が
見受けられる。

現大雲院は、建物が新しくて、いささか拍子抜けする。
秀頼が寄進した?鐘楼などあるが、何といっても寺宝の多さが目を見張るものがある。
また、本堂に織田信忠の木像が安置されているが、表情はあまりかわいくない(笑
阿弥陀寺の木像は、人気があるが、こちらは不人気のようです。

日本歴史が、
ここのところ、忙しく記事がかけずにいます。
京都の某桜の名所は、とうとう満開となり、大変な人だかりとなってしまいました。
で、今日仕事中、ふと家の前に置いてあった、古雑誌を見ると日本歴史他十年分ぐらいはあったでしょうか。ちりがみ交換に出されるのでしょうか?もったいないことで。
仕事中じゃなかったら、ベル鳴らして譲ってもらおうかと考えたぐらいでした。

大阪府の博物館の存続と事業継続を支援する署名用紙が回ってきました。
色々、知事が変わり大変なようですね。
信長の時代以外興味が薄いので、こんな施設もあるんだなと、驚いた事もあったが。