岐阜県羽島市 西方寺
上記お寺には、信長が使用した天下布武印が残されている。
楕円形の天下布武印である。
寺伝では、何故か家康から九世祐慶に送られたものだそうです。
西方寺は、信長の命で加賀野井弥八をして伽藍を焼き払った際、
ご本尊の胸めがけて突き上げたところ、鮮血が流れでたとの、ビックリの寺伝あり。
ここも、未踏の地である。大良もそうだが、羽島市いつかは行きたいものです。
上記お寺には、信長が使用した天下布武印が残されている。
楕円形の天下布武印である。
寺伝では、何故か家康から九世祐慶に送られたものだそうです。
西方寺は、信長の命で加賀野井弥八をして伽藍を焼き払った際、
ご本尊の胸めがけて突き上げたところ、鮮血が流れでたとの、ビックリの寺伝あり。
ここも、未踏の地である。大良もそうだが、羽島市いつかは行きたいものです。
京都新聞 H20年4月27日 (日)
巻一 本能寺の信長御殿は簡素か城塞か
前に紹介した今谷明氏の論文もう発表されてるみたいですね。
この新聞記事に、「王権と都市」思文閣出版とありました。
この記事は、前の記事の焼き直し記事で、瓦の写真や、御殿の推定図を描かれている。
巻一 本能寺の信長御殿は簡素か城塞か
前に紹介した今谷明氏の論文もう発表されてるみたいですね。
この新聞記事に、「王権と都市」思文閣出版とありました。
この記事は、前の記事の焼き直し記事で、瓦の写真や、御殿の推定図を描かれている。
毎月の楽しみの桐野様の連載、今回で六回目。
信長公記(陽明文庫本)だけではなく、武功夜話、甫庵信長記など
それぞれ出典を明示されて書かれてるのは、
読み手には有り難い。
道三が敗死した時に本陣をおいた,
大良って調べたことなかったんですが、今ないんですね。
羽島市正木町と書かれている。未踏の地であるので、また機会があれば、訪ねたいものです。
この退き陣での信長の行動、これもあまり取り上げることがないですね。
また、天理本の面白さもこれからもっと、引用されてほしいですね。
浮野の合戦においての付城はどこに、あったのかが気になります。
また浮野の古戦場跡は、死者を葬った塚を訪れた事がある。
県道から案内板があり、分かり易かった覚えがある。また、吉乃がいたであろう?生駒屋敷へは直ぐ近くであった事は、よく覚えてる。
さて、次号が桶狭間だそうです。全国の桶狭間ファンの皆様お待ちかねではなかったでしょうか。
どんな桐野版桶狭間が見られるか、乞うご期待。
信長公記(陽明文庫本)だけではなく、武功夜話、甫庵信長記など
それぞれ出典を明示されて書かれてるのは、
読み手には有り難い。
道三が敗死した時に本陣をおいた,
大良って調べたことなかったんですが、今ないんですね。
羽島市正木町と書かれている。未踏の地であるので、また機会があれば、訪ねたいものです。
この退き陣での信長の行動、これもあまり取り上げることがないですね。
また、天理本の面白さもこれからもっと、引用されてほしいですね。
浮野の合戦においての付城はどこに、あったのかが気になります。
また浮野の古戦場跡は、死者を葬った塚を訪れた事がある。
県道から案内板があり、分かり易かった覚えがある。また、吉乃がいたであろう?生駒屋敷へは直ぐ近くであった事は、よく覚えてる。
さて、次号が桶狭間だそうです。全国の桶狭間ファンの皆様お待ちかねではなかったでしょうか。
どんな桐野版桶狭間が見られるか、乞うご期待。
富士山麓に埋められた信長の首
そこに本能寺の真実を見た 安部龍太郎著
織田創殿の記事にありました、テレビ番組は見られませんでしたが、予想通り静岡県芝山町にある、
本門寺の首塚だったみたいですね。
中身は知りえませんが、この本を紹介する。
筆者はこの号の出る前に
本能寺の変は朝廷と室町幕府の復権を果たそうとする勢力が光秀を動かして起こしたもので、
その黒幕は時の太政大臣近衛前久だと思う、と述べられている。
私とは、百八十度違う見解を書かれているのだが、それはさておき、この寺の過去帳に
天正十年六月、惣見院信長、為明智被誅
とあるのを見て「誅する」から光秀が朝廷の命で信長を討ったと言いたいらしい。
この過去帳は、実見してないが、この様な文言が入る、過去帳は不自然であるし、惣という字が入る珍しく、そうけんいんという読みだけ知っていたものが、時代が下がり、当て字で書いたものと思うのですが。
そして、未だにこの地に信長の首を持ってきたという原志摩守宗安なる人物が実際にいた人物なのか分からない。安部氏はこの人物について、この本門寺第十八代住持日順の親としている。
当時の記録には、見出す事が出来ないのでこの由来自体伝説の域をでないのはないでしょうか。
その後も、安部氏はこの首塚と近衛家の関係を述べられているが、割愛させていただく。
西山本門寺へは、二度お参りさせていただいたが、駅から遠くまた、表門から首塚のある、本堂横までもかなりの距離があり、車での参拝をお薦めします。
追記
この号で、桐野様が山田長政 日本が駄目なら世界があるさを執筆されてます。
信長や、薩摩嶋津だけでなく、山田長政まで守備範囲があるとは驚きです。
そこに本能寺の真実を見た 安部龍太郎著
織田創殿の記事にありました、テレビ番組は見られませんでしたが、予想通り静岡県芝山町にある、
本門寺の首塚だったみたいですね。
中身は知りえませんが、この本を紹介する。
筆者はこの号の出る前に
本能寺の変は朝廷と室町幕府の復権を果たそうとする勢力が光秀を動かして起こしたもので、
その黒幕は時の太政大臣近衛前久だと思う、と述べられている。
私とは、百八十度違う見解を書かれているのだが、それはさておき、この寺の過去帳に
天正十年六月、惣見院信長、為明智被誅
とあるのを見て「誅する」から光秀が朝廷の命で信長を討ったと言いたいらしい。
この過去帳は、実見してないが、この様な文言が入る、過去帳は不自然であるし、惣という字が入る珍しく、そうけんいんという読みだけ知っていたものが、時代が下がり、当て字で書いたものと思うのですが。
そして、未だにこの地に信長の首を持ってきたという原志摩守宗安なる人物が実際にいた人物なのか分からない。安部氏はこの人物について、この本門寺第十八代住持日順の親としている。
当時の記録には、見出す事が出来ないのでこの由来自体伝説の域をでないのはないでしょうか。
その後も、安部氏はこの首塚と近衛家の関係を述べられているが、割愛させていただく。
西山本門寺へは、二度お参りさせていただいたが、駅から遠くまた、表門から首塚のある、本堂横までもかなりの距離があり、車での参拝をお薦めします。
追記
この号で、桐野様が山田長政 日本が駄目なら世界があるさを執筆されてます。
信長や、薩摩嶋津だけでなく、山田長政まで守備範囲があるとは驚きです。
先に記事にしました、上記シンポ。
友人から行けないのでと、案内書を頂きました。
主催は、平安京・京都研究集会 後援 日本史研究会 だったんですね。
聞き慣れませんが。
報告は、あの吉川氏と、興味深い論文を多数執筆されてる河内氏。
コメントは、仁木氏と京都埋蔵文化財研究所の山本氏
と、楽しみな顔ぶれ。
一般来聴歓迎。とあるので、興味のあるかたはどうぞ。
友人から行けないのでと、案内書を頂きました。
主催は、平安京・京都研究集会 後援 日本史研究会 だったんですね。
聞き慣れませんが。
報告は、あの吉川氏と、興味深い論文を多数執筆されてる河内氏。
コメントは、仁木氏と京都埋蔵文化財研究所の山本氏
と、楽しみな顔ぶれ。
一般来聴歓迎。とあるので、興味のあるかたはどうぞ。
浅野清編著 新人物往来社 H11年10月
先日亡くなられた、浅野氏の発行された本。
三十六功臣とは、京都建勲神社拝殿に掲げられてる、信長に功があった人物のこと。
拝殿には、スペースの関係で、全て掲げられてない。
また、中にあがれない為よく見えない。
この本には、巻頭カラーで全ての画像が見れる。
この中で特に有名なのは、滝川一益と柴田勝家。
この二人の画像は、よくお見かけするのは、他に画像がなかったからなのだが、近年、柴田勝家の子孫の方が蔵していらっしゃった画像が有名になり、今後も滝川の画像は使われるでしょう。
菅谷のナリも愛嬌があり、好感が持てるし、他の画像も、首実験の姿なども寺に残る画像とは一味違ったものである。
三十六功臣ごとに、色々な研究者が執筆されている構成となっている。
版元にはもう、在庫は残ってないようです。
先日亡くなられた、浅野氏の発行された本。
三十六功臣とは、京都建勲神社拝殿に掲げられてる、信長に功があった人物のこと。
拝殿には、スペースの関係で、全て掲げられてない。
また、中にあがれない為よく見えない。
この本には、巻頭カラーで全ての画像が見れる。
この中で特に有名なのは、滝川一益と柴田勝家。
この二人の画像は、よくお見かけするのは、他に画像がなかったからなのだが、近年、柴田勝家の子孫の方が蔵していらっしゃった画像が有名になり、今後も滝川の画像は使われるでしょう。
菅谷のナリも愛嬌があり、好感が持てるし、他の画像も、首実験の姿なども寺に残る画像とは一味違ったものである。
三十六功臣ごとに、色々な研究者が執筆されている構成となっている。
版元にはもう、在庫は残ってないようです。
第11回
稲生原の戦いで敗れた、信行(信勝)は末盛城に留まり、御袋様が清洲城へお詫びしに行くところから始まる。映像でこの場面が見られるのは、なかなか新鮮であった。
公記によると、赦免が決まってから勘十郎、勝家、都々木と三人にて清洲へ行った事になっている。
信長と信行(信勝)の兄弟確執は、桶狭間の戦い前の見せ場ではあるが、このドラマでは、小さい頃から仲が悪かったとの伏線を、第一回から描かれている。
場面は急に、帰蝶が美濃攻めを進言し、信長が簡単に一蹴する。
それに怒った帰蝶が、部屋に帰るなり物を投げつけ、散らかした様を見て
「掃除いたせ」
と、キレイ好きだった事を描かれて好感が持てる。
その次のカットは、予想通り生駒の女「しの」のもとへ(笑
どうやって、口説き落としたかはスルーで、いきなり抱きついて、押し倒すというもので、いささか拍子抜けした。
有名な信行(信勝)殺害シーンは、フロイス日本史にそって描かれている。
刺した後信行(信勝)に向かって
「いつか殺すと申したのを、忘れたのかぁ」と一喝するのは、緒形直人にしては、迫力があった。
最後に、この年信忠が生まれた弘治三年なので、赤ちゃんが持ち上げられ、しのがあやすシーンで終わる。
信長紀行 スペインバスク地方
稲生原の戦いで敗れた、信行(信勝)は末盛城に留まり、御袋様が清洲城へお詫びしに行くところから始まる。映像でこの場面が見られるのは、なかなか新鮮であった。
公記によると、赦免が決まってから勘十郎、勝家、都々木と三人にて清洲へ行った事になっている。
信長と信行(信勝)の兄弟確執は、桶狭間の戦い前の見せ場ではあるが、このドラマでは、小さい頃から仲が悪かったとの伏線を、第一回から描かれている。
場面は急に、帰蝶が美濃攻めを進言し、信長が簡単に一蹴する。
それに怒った帰蝶が、部屋に帰るなり物を投げつけ、散らかした様を見て
「掃除いたせ」
と、キレイ好きだった事を描かれて好感が持てる。
その次のカットは、予想通り生駒の女「しの」のもとへ(笑
どうやって、口説き落としたかはスルーで、いきなり抱きついて、押し倒すというもので、いささか拍子抜けした。
有名な信行(信勝)殺害シーンは、フロイス日本史にそって描かれている。
刺した後信行(信勝)に向かって
「いつか殺すと申したのを、忘れたのかぁ」と一喝するのは、緒形直人にしては、迫力があった。
最後に、この年信忠が生まれた弘治三年なので、赤ちゃんが持ち上げられ、しのがあやすシーンで終わる。
信長紀行 スペインバスク地方
上記タイトルの研究会の会長さんである、浅野清氏が先月亡くなられました。
謹んで、お悔やみ申し上げます。
友人に紹介して頂いて入会させていただいたのですが、
会報を頂くだけの幽霊会員だったので、浅野氏本人とは恥ずかしながら、面識は有りませんでした。
本を購入した際に2,3度手紙をやり取り、しただけの付き合いだったんですが。
成政研究会の会報の中身は、資料充実の「ざら峠」と、情報連絡誌「成政ファン」と二冊の構成となっており、成政に対する思いが切々と伝わって来る内容と共に、毎回自らの闘病生活にも、触れられていたので、その執念には頭の下がる思いで読んでいたのですが。
今後、成政研究会がどうなるかは、模索中との事。
バックナンバーを読み返して、機会があれば紹介したいと思います。
謹んで、お悔やみ申し上げます。
友人に紹介して頂いて入会させていただいたのですが、
会報を頂くだけの幽霊会員だったので、浅野氏本人とは恥ずかしながら、面識は有りませんでした。
本を購入した際に2,3度手紙をやり取り、しただけの付き合いだったんですが。
成政研究会の会報の中身は、資料充実の「ざら峠」と、情報連絡誌「成政ファン」と二冊の構成となっており、成政に対する思いが切々と伝わって来る内容と共に、毎回自らの闘病生活にも、触れられていたので、その執念には頭の下がる思いで読んでいたのですが。
今後、成政研究会がどうなるかは、模索中との事。
バックナンバーを読み返して、機会があれば紹介したいと思います。
平成20年4月19日(土)現地説明会
一年半振りの伊丹。スッポンが出土したというので、出かけた。
場所は、国道沿いのニトリの南側。かなり、大きめの場所で、堀が出てきたと言うので早速拝見。
人出も多く来られていた。
有岡城は、そうがまえが有名で、本丸がある主郭部をぐるりと巡る土居が巡らされていた。
発掘場所は、本丸と上臈塚砦のちょうど間ぐらいのところに、堀があったというもの。
その堀に木が何本添えられているのが残っていて、それは堀に添って塀があったのではとの説明。
その塀は、内側ではなく、外側に有り、不思議に感じた。
スッポンは、まじかで展示されていた。他にも猪の骨なども横に展示されていた。
その後、伊丹図書館と池田図書館へ、北摂の歴史所収の信長が越えた峠を捜しに行ったが、どちらも蔵していず、分からなかった。荒木村重研究会の会報「村重」を拝見。
さすが、村重を題してるだけあって、信長の事は良く書かれていなかった。
太田牛一の子孫の墓が、昔伊丹の寺にあったという。是は、麻田藩に仕えた系統とのこと。
一年半振りの伊丹。スッポンが出土したというので、出かけた。
場所は、国道沿いのニトリの南側。かなり、大きめの場所で、堀が出てきたと言うので早速拝見。
人出も多く来られていた。
有岡城は、そうがまえが有名で、本丸がある主郭部をぐるりと巡る土居が巡らされていた。
発掘場所は、本丸と上臈塚砦のちょうど間ぐらいのところに、堀があったというもの。
その堀に木が何本添えられているのが残っていて、それは堀に添って塀があったのではとの説明。
その塀は、内側ではなく、外側に有り、不思議に感じた。
スッポンは、まじかで展示されていた。他にも猪の骨なども横に展示されていた。
その後、伊丹図書館と池田図書館へ、北摂の歴史所収の信長が越えた峠を捜しに行ったが、どちらも蔵していず、分からなかった。荒木村重研究会の会報「村重」を拝見。
さすが、村重を題してるだけあって、信長の事は良く書かれていなかった。
太田牛一の子孫の墓が、昔伊丹の寺にあったという。是は、麻田藩に仕えた系統とのこと。
安井将監秀勝の「秀長」改名記事を中心に 下村信博著
名古屋市博物館 研究紀要 第30巻
あまり知られていないが、私の中では興味ある人物の一人。
この論考は、上記内容を尾張藩士の子孫と、紀伊藩士の子孫の由緒書きから読みといていったもの。
私の興味は、張州雑誌引用の安井家譜。
読みずらいものを、読み下してる。
いわゆる、信長の衣を埋めたと言われる、将軍塚の同所に明長寺を建て、そこに信長と信雄の位牌を祀ったと言う。
現在は陽泉寺と言う名で、尾頭橋駅の近くにある。
名古屋の寺は、戦災で焼けた為概ね昭和の再建されたものが多く、鉄筋コンクリの本堂が多いが(こここもそうであった) 訪ねたことがあるが、残念ながらご不在で、それから訪ねてないので、信長の位牌が現存するか分からない。
名古屋市博物館 研究紀要 第30巻
あまり知られていないが、私の中では興味ある人物の一人。
この論考は、上記内容を尾張藩士の子孫と、紀伊藩士の子孫の由緒書きから読みといていったもの。
私の興味は、張州雑誌引用の安井家譜。
読みずらいものを、読み下してる。
いわゆる、信長の衣を埋めたと言われる、将軍塚の同所に明長寺を建て、そこに信長と信雄の位牌を祀ったと言う。
現在は陽泉寺と言う名で、尾頭橋駅の近くにある。
名古屋の寺は、戦災で焼けた為概ね昭和の再建されたものが多く、鉄筋コンクリの本堂が多いが(こここもそうであった) 訪ねたことがあるが、残念ながらご不在で、それから訪ねてないので、信長の位牌が現存するか分からない。
「高代寺日記 塩川家臣日記 下」紹介 鶴崎 裕雄著
関西大学文学部史学科 創設25周年記念 日本史学学論集
内閣文庫にある、上記日記の紹介。
先の織田弾正忠入道の記述がある、私の記録と同じく興味深い内容となってる。
秀吉を、木下とあったり、家康を東公と呼んでいることが注目される。
信長の時より、塩川長満に関して注目記事がある。
長満は、天正十四年十月五日没。四十九歳。輝山源光大居士ト号す。
これは、室家が足利義輝の娘である縁と言う。
さて、信忠の室が長満の娘であるなら、義輝の外孫を信長が娶わせたト言う事でしょうか。
また、長満は信長より四歳下、と言う事になり年代は問題ないが、義輝の娘と言うのは年代が合わない気がするが。
関西大学文学部史学科 創設25周年記念 日本史学学論集
内閣文庫にある、上記日記の紹介。
先の織田弾正忠入道の記述がある、私の記録と同じく興味深い内容となってる。
秀吉を、木下とあったり、家康を東公と呼んでいることが注目される。
信長の時より、塩川長満に関して注目記事がある。
長満は、天正十四年十月五日没。四十九歳。輝山源光大居士ト号す。
これは、室家が足利義輝の娘である縁と言う。
さて、信忠の室が長満の娘であるなら、義輝の外孫を信長が娶わせたト言う事でしょうか。
また、長満は信長より四歳下、と言う事になり年代は問題ないが、義輝の娘と言うのは年代が合わない気がするが。
第十回
桐野様の歴読誌連載まっただなかの回。
原作のない、田向氏のオリジナルの大河だが、公記とフロイス日本史を出典とされてるようだ。
道三亡き後、仏間に篭る帰蝶を諭す信長が鷹狩りに出かける。
行く先は、予想通り生駒屋敷(笑
それを見越して、お共していた池田恒興がここに来ると思ってましたと。
そこへ、高木美保演じる生駒女である、しのがお茶を持って登場。
夫が、道三へ味方し討ち死にした為、引き取ったと、生駒家宗談。
信長は、いつか仇をとる。と、しのへ宣言する。
この辺りは、武功夜話を引用している。調度、武功ブームまっただなかの平成4年ならではで、懐かしい映像である。
題でもある、骨肉の争いとは、弟信勝(ドラマでは信行)との確執を描く。
信時の死を、それぞれ相手方が、後で糸を引いていると疑心暗鬼に陥って行く過程が描かれてるが、
フィクションである、空想の人物加納隋天と信長母るいとの不倫がややこしくドラマに入ってくる。
はっきり言って要らないと思うのだが、場面は突如稲生原の戦いが始まる。
公記首巻の見せ場、また信長の戦いとしての見せ場、大音声もなし、林美作を討ち取るもなし、いささか拍子抜けで終わるのは残念な回である。
そして、信長母るいが清洲城へお詫びに訪れる所で、ここまでに
アテブレーべ、オブリガード。
信長紀行 西の京都とザビエル神父 山口市
桐野様の歴読誌連載まっただなかの回。
原作のない、田向氏のオリジナルの大河だが、公記とフロイス日本史を出典とされてるようだ。
道三亡き後、仏間に篭る帰蝶を諭す信長が鷹狩りに出かける。
行く先は、予想通り生駒屋敷(笑
それを見越して、お共していた池田恒興がここに来ると思ってましたと。
そこへ、高木美保演じる生駒女である、しのがお茶を持って登場。
夫が、道三へ味方し討ち死にした為、引き取ったと、生駒家宗談。
信長は、いつか仇をとる。と、しのへ宣言する。
この辺りは、武功夜話を引用している。調度、武功ブームまっただなかの平成4年ならではで、懐かしい映像である。
題でもある、骨肉の争いとは、弟信勝(ドラマでは信行)との確執を描く。
信時の死を、それぞれ相手方が、後で糸を引いていると疑心暗鬼に陥って行く過程が描かれてるが、
フィクションである、空想の人物加納隋天と信長母るいとの不倫がややこしくドラマに入ってくる。
はっきり言って要らないと思うのだが、場面は突如稲生原の戦いが始まる。
公記首巻の見せ場、また信長の戦いとしての見せ場、大音声もなし、林美作を討ち取るもなし、いささか拍子抜けで終わるのは残念な回である。
そして、信長母るいが清洲城へお詫びに訪れる所で、ここまでに
アテブレーべ、オブリガード。
信長紀行 西の京都とザビエル神父 山口市
桜の某名所は、散り初め人込みも少なくなってまいりました。
某隠れ名所は、交通の便が悪いので大渋滞。
先週が満開だったが、今でも見ごろ。
仁和寺の桜は、一番遅く咲くのでまだ見てない方は、こちらへどうぞ。
安土城跡は、京都新聞の記事によると満開らしい。
さて、以前の記事、織田信長の手相で今日拍手を頂きまして6拍手となりました。
過去記事も見て頂いてるのは、嬉しく思います。
また、意外にも?マニアックな事もうけるんだなとほくそえんでます。
篤姫。篤姫。篤姫。
何回か、見逃したがあまり進んでない様ですね。
良く分かりませんが、この人選は、フジTVの大奥が当たったのをNHKがのっかったと思ってましたが、
その路線でもなさそうですね。
フジの大奥を放映中、知人の女性なんかは、だんだんドロドロしてくるでと、楽しみに?見ていらっしゃったが、なかなかドロドロしてきませんね(笑
某隠れ名所は、交通の便が悪いので大渋滞。
先週が満開だったが、今でも見ごろ。
仁和寺の桜は、一番遅く咲くのでまだ見てない方は、こちらへどうぞ。
安土城跡は、京都新聞の記事によると満開らしい。
さて、以前の記事、織田信長の手相で今日拍手を頂きまして6拍手となりました。
過去記事も見て頂いてるのは、嬉しく思います。
また、意外にも?マニアックな事もうけるんだなとほくそえんでます。
篤姫。篤姫。篤姫。
何回か、見逃したがあまり進んでない様ですね。
良く分かりませんが、この人選は、フジTVの大奥が当たったのをNHKがのっかったと思ってましたが、
その路線でもなさそうですね。
フジの大奥を放映中、知人の女性なんかは、だんだんドロドロしてくるでと、楽しみに?見ていらっしゃったが、なかなかドロドロしてきませんね(笑
辻 悦蔵著 扶桑社 企画出版室 2003年8月25日
元安土町長の回顧録。某氏に寄贈された本を、私が頂いたもの。
先日の安土町長と、亀岡市長との和解で思い出して、書棚を探して見た。
著書によると、次に町長になられた方は、部下だった方で、突然出馬されて、選挙で負けたらしく、
平成の本能寺の変と言われたそうだ。
安土町が、信長を利用?して発展していった経緯が興味深い。
400年祭というイベントが有り、写真でしか見た事が無いが、中々盛況だった様で、戦国時代のイベントではこれがパイオニアであった様だ。また、今でも行われてる、信長サミットも、400年祭が一過性で終わらない様に、町長の発案で始まったとの経緯も書かれている。
こういう著作は、自慢話になりがちだろうが、裏話が書かれていて面白い。
自分も見に行きたかった、常楽寺相撲のエピソードは一番面白い。
小錦が、車に乗れるかどうかが、興味の的であったらしく、予想に反して楽々乗り込んだが、座った瞬間車が沈み込み、歓声ともどよめきともとれる声があがったという。
この相撲大会は、信長が行った常楽寺相撲に因むものなのは言うまでもない。
安土町へ、始めて訪れた時、ものすごい田舎だなと思った。
まだ、銅像も無く、左手にある天主タワーも無く、裏手の城郭資料館も無い、寒村だった。
駅前に食堂が一軒あるぐらいだったかな。
また大河ドラマ徳川家康で使った安土城天主閣のセットが、見られる所もあった。
それに較べると、駅前は格段に様変わりした。
私は車で訪れるので問題は無いが、遠方から来られる方は、レンタルサイクルを利用される事が多い様であるが、まだまだ不便な町である事は間違いない。
元安土町長の回顧録。某氏に寄贈された本を、私が頂いたもの。
先日の安土町長と、亀岡市長との和解で思い出して、書棚を探して見た。
著書によると、次に町長になられた方は、部下だった方で、突然出馬されて、選挙で負けたらしく、
平成の本能寺の変と言われたそうだ。
安土町が、信長を利用?して発展していった経緯が興味深い。
400年祭というイベントが有り、写真でしか見た事が無いが、中々盛況だった様で、戦国時代のイベントではこれがパイオニアであった様だ。また、今でも行われてる、信長サミットも、400年祭が一過性で終わらない様に、町長の発案で始まったとの経緯も書かれている。
こういう著作は、自慢話になりがちだろうが、裏話が書かれていて面白い。
自分も見に行きたかった、常楽寺相撲のエピソードは一番面白い。
小錦が、車に乗れるかどうかが、興味の的であったらしく、予想に反して楽々乗り込んだが、座った瞬間車が沈み込み、歓声ともどよめきともとれる声があがったという。
この相撲大会は、信長が行った常楽寺相撲に因むものなのは言うまでもない。
安土町へ、始めて訪れた時、ものすごい田舎だなと思った。
まだ、銅像も無く、左手にある天主タワーも無く、裏手の城郭資料館も無い、寒村だった。
駅前に食堂が一軒あるぐらいだったかな。
また大河ドラマ徳川家康で使った安土城天主閣のセットが、見られる所もあった。
それに較べると、駅前は格段に様変わりした。
私は車で訪れるので問題は無いが、遠方から来られる方は、レンタルサイクルを利用される事が多い様であるが、まだまだ不便な町である事は間違いない。
本日気になった記事の紹介。
1、本能寺の変から426年 信長 歴史的和解?光秀
と題して、来月、亀岡でサミットが行われる際、安土町長が参加するというオチ。
5月2日亀山城跡にある大本本部を会場として、「亀山城光秀サミット」が開催される。
津村安土町長「史実にこだわるのではなく、今を生きる者同士が連携を深め、歴史を見つめていきたい」
栗山市長「人と人とのきずなが大切な時代。仲良くしていきたい。「和解」の口上をじっくり考えたい」
と話している。らしい。
2、嶋左近 三成文書に名
長浜城歴博 来月に公開 主従関係裏付け 高月の旧家で発見
三成の文書で、嶋左近の名が初めて確認された貴重な史料。とのこと。
3、浅井長政ゆかりのリンゴ 復活を目指し 住民ら接ぎ木へ
湖北の特産化へ
実の直径が四、五センチと小さな和リンゴは、平安時代から全国で栽培されてきたが、西洋リンゴの普及でほとんど姿を消してしまった。
古橋村(現木之本町古橋)の三珠院からリンゴを献上された長政が礼状を記している。これが由縁である。
4、記事ではないが、広告で文藝春秋 5月号
大研究 今、日本には信長型リーダーが必要だ
織田信長 改革と破壊と 堺屋太一 磯田道史 小和田哲男 本郷和人
が執筆されてる。 写真は、小泉元首相と信長画像。
この信長画像、愛知県総見寺本でしょうか?長興寺本ではないとこが、めずらしい。
1、本能寺の変から426年 信長 歴史的和解?光秀
と題して、来月、亀岡でサミットが行われる際、安土町長が参加するというオチ。
5月2日亀山城跡にある大本本部を会場として、「亀山城光秀サミット」が開催される。
津村安土町長「史実にこだわるのではなく、今を生きる者同士が連携を深め、歴史を見つめていきたい」
栗山市長「人と人とのきずなが大切な時代。仲良くしていきたい。「和解」の口上をじっくり考えたい」
と話している。らしい。
2、嶋左近 三成文書に名
長浜城歴博 来月に公開 主従関係裏付け 高月の旧家で発見
三成の文書で、嶋左近の名が初めて確認された貴重な史料。とのこと。
3、浅井長政ゆかりのリンゴ 復活を目指し 住民ら接ぎ木へ
湖北の特産化へ
実の直径が四、五センチと小さな和リンゴは、平安時代から全国で栽培されてきたが、西洋リンゴの普及でほとんど姿を消してしまった。
古橋村(現木之本町古橋)の三珠院からリンゴを献上された長政が礼状を記している。これが由縁である。
4、記事ではないが、広告で文藝春秋 5月号
大研究 今、日本には信長型リーダーが必要だ
織田信長 改革と破壊と 堺屋太一 磯田道史 小和田哲男 本郷和人
が執筆されてる。 写真は、小泉元首相と信長画像。
この信長画像、愛知県総見寺本でしょうか?長興寺本ではないとこが、めずらしい。
先日、某テレビ番組で、会津若松城が落城したのは、A ,糞尿の為
というのがあり、地元からクレームがあり、お詫びするそうです。
最近、クイズ番組が増え、歴史関係の問題があり、おやっと思われるものがあった。
それは、関が原の戦いに参加していなかったのは、誰かというものだったっが、
正解は、前田利家であったのだが、他の九人の中に、伊達政宗や、加藤清正の名があった。
それは、拡大解釈し過ぎでは、と思ったが、どうなんですかね。
前に記事にもした、信長が女装が趣味だったと言うのも、どうなんですかね。
未だに納得してないんですが(笑
また、気に食わなかったら、記事にして突っ込みたいと思います(笑
というのがあり、地元からクレームがあり、お詫びするそうです。
最近、クイズ番組が増え、歴史関係の問題があり、おやっと思われるものがあった。
それは、関が原の戦いに参加していなかったのは、誰かというものだったっが、
正解は、前田利家であったのだが、他の九人の中に、伊達政宗や、加藤清正の名があった。
それは、拡大解釈し過ぎでは、と思ったが、どうなんですかね。
前に記事にもした、信長が女装が趣味だったと言うのも、どうなんですかね。
未だに納得してないんですが(笑
また、気に食わなかったら、記事にして突っ込みたいと思います(笑
馬の博物館研究紀要第16号 長塚孝著
信長が、馬を愛好していた事はよく知られている。
平手政秀の長男五郎右衛門の乗馬を取り上げようとした事は、よく知られている。
馬の受領・進呈ではその数を載せられ、
馬を受領した記事は33件。
授与は12件。
馬具の受領が4件。
受領した馬は73頭以上。
授与した頭数は34頭になるという。
実際はもっと多かったでしょうと論じられてる。
伊達輝宗との音信では、双方の史料に明記されている稀有な例であり、太田が関わっていたのではとも論じられ、非常に興味深い内容となっている。
そして題ともなっている賀茂競馬の項では、信長は元亀三年に競馬見物をしている。
また、天正二年、在京していたが見物はしなかったが、20頭の馬すべてに馬具を装着し奉納した。
公記にも記されいるが、賀茂社家によって作成された「競馬記」という編纂物に公記にも述べられていないことが載っており貴重である。
太田又助が奉行である、とか5日に御ちゃせん(信雄)が見物したなどがある。
信長の性格が分かる一面として、側近に借りていた鞍を神社へ授与してしまったことなどがある。
5月10日(土)に信長の馬揃え〜その意図と意味と題して、この論文を発行されてる馬の博物館にて
桐野様が、講演会をされます。行きたいけど遠いですね(笑
信長が、馬を愛好していた事はよく知られている。
平手政秀の長男五郎右衛門の乗馬を取り上げようとした事は、よく知られている。
馬の受領・進呈ではその数を載せられ、
馬を受領した記事は33件。
授与は12件。
馬具の受領が4件。
受領した馬は73頭以上。
授与した頭数は34頭になるという。
実際はもっと多かったでしょうと論じられてる。
伊達輝宗との音信では、双方の史料に明記されている稀有な例であり、太田が関わっていたのではとも論じられ、非常に興味深い内容となっている。
そして題ともなっている賀茂競馬の項では、信長は元亀三年に競馬見物をしている。
また、天正二年、在京していたが見物はしなかったが、20頭の馬すべてに馬具を装着し奉納した。
公記にも記されいるが、賀茂社家によって作成された「競馬記」という編纂物に公記にも述べられていないことが載っており貴重である。
太田又助が奉行である、とか5日に御ちゃせん(信雄)が見物したなどがある。
信長の性格が分かる一面として、側近に借りていた鞍を神社へ授与してしまったことなどがある。
5月10日(土)に信長の馬揃え〜その意図と意味と題して、この論文を発行されてる馬の博物館にて
桐野様が、講演会をされます。行きたいけど遠いですね(笑
三重県史研究 第11号 資料紹介 稲本紀昭著
桐野様の狂乱と冷徹の軍事カリスマでも触れられてました、信秀が出家してた事を示唆した、
この資料。信長の事は、若殿か三郎殿が信長ではないかとされている。
その他にも、土田二郎さへもんって誰?とか平手周助 つしまって政秀と、どういう関係なのかとか
興味は尽きない。
美濃
上さま御とし三十九
とある、この人物は誰か?と言うのを稲本氏は指摘されてる。
道三なのか、義龍なのか、はたまた土岐の誰かなのか?
これにこれう人さま 廿三とあるのが目をひく。
上さまが特定出来れば、年の差十六歳が分かって面白いのだが。
桐野様の狂乱と冷徹の軍事カリスマでも触れられてました、信秀が出家してた事を示唆した、
この資料。信長の事は、若殿か三郎殿が信長ではないかとされている。
その他にも、土田二郎さへもんって誰?とか平手周助 つしまって政秀と、どういう関係なのかとか
興味は尽きない。
美濃
上さま御とし三十九
とある、この人物は誰か?と言うのを稲本氏は指摘されてる。
道三なのか、義龍なのか、はたまた土岐の誰かなのか?
これにこれう人さま 廿三とあるのが目をひく。
上さまが特定出来れば、年の差十六歳が分かって面白いのだが。
連載第五回
兄弟間抗争に勝ち抜く
弟信勝との確執、兄信広の離反、などを論考されてる。
信行ではなく、信勝という名乗りも、馴染んできましたね。
さて、信長が軽率であった面、単騎で行動した弟を非難しながら、自分も単騎で守山に向かっている。
そういう所も好きなのだが、これを私なんかは当たり前と言うか、自分ならそうするだろうなと思う分けですが、客観的に見るとだめなんですよね。
信長型では、ないものから言わせると「だから本能寺で」と言われるんですよね。
そして、稲生原の戦いの紹介。
信長が、大音声を上げて、林美作を討ち取る首巻の名場面の一つ。
旗本衆の信長への畏敬の念はますます強まったに違いないというのは、的を得てますよね。
先頭に立つ、主君について行こう、追いつこうと思ったでしょうね。
信勝の官名と諱についてでは、岡田正人氏の辞典でも目まぐるしく変えていて、ややこしいですね。
信勝から家督を奪った、という本を読んだ事もありましたが、、、、
今回は、長く感じました。このペースで大丈夫でしょうかと、先々回と逆の心配をしてしまいます(笑
この号、歴読 特集織田・豊臣の城を歩く
では、お馴染みのお三方による、フリートークが冒頭にあり、主要な城を図入りで記事にされている。
信長関連では、大和一国破城があります。
へうげもの 六巻
どこまで、史実かフィクションか不勉強で知らないが面白い事は間違いない。
大政所が、茶室の床の間に飾ってあったのは爆笑でした。
ノ貫も、この巻で亡くなり寂しいかぎりです。利休の描写を人間らしいと言いますか、ここまで描いてる方は、稀ではないでしょうか。
桐野様のリンク先、中村武生氏のブログ記事に、戦国時代の本能寺と織田信長という報告会が、5月25日にあるもよう。是非参加したいものです。
兄弟間抗争に勝ち抜く
弟信勝との確執、兄信広の離反、などを論考されてる。
信行ではなく、信勝という名乗りも、馴染んできましたね。
さて、信長が軽率であった面、単騎で行動した弟を非難しながら、自分も単騎で守山に向かっている。
そういう所も好きなのだが、これを私なんかは当たり前と言うか、自分ならそうするだろうなと思う分けですが、客観的に見るとだめなんですよね。
信長型では、ないものから言わせると「だから本能寺で」と言われるんですよね。
そして、稲生原の戦いの紹介。
信長が、大音声を上げて、林美作を討ち取る首巻の名場面の一つ。
旗本衆の信長への畏敬の念はますます強まったに違いないというのは、的を得てますよね。
先頭に立つ、主君について行こう、追いつこうと思ったでしょうね。
信勝の官名と諱についてでは、岡田正人氏の辞典でも目まぐるしく変えていて、ややこしいですね。
信勝から家督を奪った、という本を読んだ事もありましたが、、、、
今回は、長く感じました。このペースで大丈夫でしょうかと、先々回と逆の心配をしてしまいます(笑
この号、歴読 特集織田・豊臣の城を歩く
では、お馴染みのお三方による、フリートークが冒頭にあり、主要な城を図入りで記事にされている。
信長関連では、大和一国破城があります。
へうげもの 六巻
どこまで、史実かフィクションか不勉強で知らないが面白い事は間違いない。
大政所が、茶室の床の間に飾ってあったのは爆笑でした。
ノ貫も、この巻で亡くなり寂しいかぎりです。利休の描写を人間らしいと言いますか、ここまで描いてる方は、稀ではないでしょうか。
桐野様のリンク先、中村武生氏のブログ記事に、戦国時代の本能寺と織田信長という報告会が、5月25日にあるもよう。是非参加したいものです。
ここのところ、忙しく記事がかけずにいます。
京都の某桜の名所は、とうとう満開となり、大変な人だかりとなってしまいました。
で、今日仕事中、ふと家の前に置いてあった、古雑誌を見ると日本歴史他十年分ぐらいはあったでしょうか。ちりがみ交換に出されるのでしょうか?もったいないことで。
仕事中じゃなかったら、ベル鳴らして譲ってもらおうかと考えたぐらいでした。
大阪府の博物館の存続と事業継続を支援する署名用紙が回ってきました。
色々、知事が変わり大変なようですね。
信長の時代以外興味が薄いので、こんな施設もあるんだなと、驚いた事もあったが。
京都の某桜の名所は、とうとう満開となり、大変な人だかりとなってしまいました。
で、今日仕事中、ふと家の前に置いてあった、古雑誌を見ると日本歴史他十年分ぐらいはあったでしょうか。ちりがみ交換に出されるのでしょうか?もったいないことで。
仕事中じゃなかったら、ベル鳴らして譲ってもらおうかと考えたぐらいでした。
大阪府の博物館の存続と事業継続を支援する署名用紙が回ってきました。
色々、知事が変わり大変なようですね。
信長の時代以外興味が薄いので、こんな施設もあるんだなと、驚いた事もあったが。




