滝川一益の前半生

滝川一益の前半生



退院しました。まだ痛みはありますが金子拓著「信長記」と信長・秀吉の時代を読んでます。
一番目に気になっていたのは、表題の金子さんのコラム記事。

フライング気味で、漏れ聞いていたが全貌があきらかになった。
滝川がいつ信長に仕えたかには、関心の度合いが低いのですが。
写真は妙心寺長興院の滝川一益の位牌。
もの自体は大正に作られたものだが、没年は金子さんの指摘通り二月九日になっていて、通説の九月九日とは違っている。滝川の最期がよくわかっていないので、どちらが正解か分からない。
 今年はじめ一益の墓と思われる墓を見出したが、年号も月日も読めなかったのでそれが当たりなのか、年月日のどちらが正解なのか分からないのだが。

写真の長興院に関しては、信忠乳母にして後に信長のお手つきとなって、秀吉妾三ノ丸殿産んだ慈徳院について調査して際色々調べたが、滝川が開基したのは長興院の前身である楊谷院が正しい。

 後に姪婿(異説あり)である津田小平次が再興し、その法名長興院殿光巌道景大居士から長興院に改正した。
小平次の道号も、奥庵ではなく写真左にみえるように興庵が正しい。
(お鍋の方の院号興雲院もよく、奥雲院と読まれているが、確かに奥と読めますが・・)




信忠画像については、丁度この調査した後に安土城考古博物館が購入された。
詳しくは「館蔵・絹本著色織田信忠画像について 高木叙子 古川史隆 安土城考古博物館 紀要第7号」参照して下さい。



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~ Comment ~

No title

 ご退院おめでとうございます。
 まだ、少し痛みがあるとのことですが、お大事になさってください。
 私は今月、西国へ森家の甲冑など調査に行って参ります。

No title

南心様
コメントありがとうございます。
リンク再設定致しました。
甲冑調査、いいですね。ついて行きたいものです。
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