謀反の原因は信長にあり

謀反の原因は信長にあり



一門と譜代重視のもと、譜代でない家臣にはより強い不安感があった。
最後の最後に、こう述べていらっしゃいますが、池上論の一門と譜代であって、信長に譜代家臣なんて定義があいまい。かつて弟の家臣で、稲生で戦ったこともある柴田も譜代。
 
信長の元々の一門である、津田信張は、そんなに重視されていないし、末弟の長益や長利も信忠の元にいて、とても重視されていず、冷遇されている感じがするが。

223頁からが、本筋だと思うが、どちらかというと、ここからの分量を多くし、前の分量を端折ったほうがよかったかも。北条の研究者らしいが、ちらちら気になるところが散見する。

荒木村重謀反 167頁 前略 信長は喜び、母親を人質に差し出し出仕せよと命じたが、村重は応じなかった。
資料の誤読。母親を人質に出そうとしたのは信長。
 信長が、そこまでして出仕させようとした、等身大の姿は残念ながら、誤読されている為に描かれず。

謀反の原因の一つに、長曽我部に対する方針転換を挙げられている。
別に、池上さんが言いはじめた事ではなく、またかといった印象。
 方針転換なんて、信長に仕えていたなら想定の範囲内でしょう。

天正八年佐久間追放の際引き合いに出したのは、光秀、秀吉、勝家?
珍しい引用。光秀、秀吉、池田の順で、別項で勝家なんですが。ビッグネームのほうが分かりやすいのか。

佐久間追放時は、信盛という名を棄てて定栄と名乗っているが、ここではそのまま。
荒木謀反時、古田左介重然(後の古田織部)とあるが、重然も後の名乗りなので、重然なんて書かなきゃよかったのに。古田左介(後の織部)
秋山は、最近判明した虎繁を採用されているのは、武田には詳しい方なのか。

信康事件がありません。
ここ重要。娘婿の処遇、どう描かれるかが等身大の実像に迫る格好の材料。


本能寺の変
那波問題が有力だと思うが、というかそれしか思い至らさなそうだが、どうしても受け売りになってしまうので、
ここではスルーで。
 変後の光秀の行動から私が思うには、どう見ても行き当たりばったりで、入念に緻密な計画を建てていたとは、とうてい思えない。 変の数日前に決断したとみるべき。

人物叢書を買って読む方は、信長を英雄視する方はいないと思いますけど。
作家Kとかの、全仕事とか読むかたなら英雄視されてるかも、しれませんが。




 
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