信長の城 その2

信長の城 その2

千田

大手道の見解について。
滋賀県城郭調査研究所の見解は、黒金門を経緯せず、本丸南側の裏門にたどり着くという見解を否定され、黒金門にたどり着くという見解を述べられました。三浦説のむりくりに、たどり着かせようとした論考とは違い、説得力があります。確かに、あの道は狭いですよね。昨年久しぶり行こうと思ったら、入り口すら分からなくなっていましたし、ここ何年も、誰も通らなかったんだろうなという感じでしたし(笑
 また、大手道が天主をより見せる為の道だったというのは、著者様が関わられた、あのCGでも理解できます。私見ですが、何故あそこで左に折れるかは、勾配があそこから急になるのもあるかもしれませんが、あの辺りで、天主が見えなくなるのではと思っていたのですが、こればっかりは分かりません。
 伝信忠邸は、江戸時代畑として使ってたので、痕跡が何も見つかってないので、用途不明。
信長時代と、三法師が住んだ時代と、江戸時代と時代によって変遷していった可能性が考えられる郭。
私は、城介息と云われていた、三法師の御殿の伝承が残り、秋田城介と貞享古図に記されたと私は思っているのは、以前書いたとおり。
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