信長廟 その4

信長廟 その4



現在は封鎖されて見学できない、天主取り付け台、北東虎口。
写真下に見られるように、切石が使われている謎の場所。
先回、時期については述べなかったが、総見寺文書を再読。
江が秀頼(茶々)の後を継ぎ、信長廟を造営したという記述は、明治四十五年に織田家最後の住持宗敦の甥織田三郎と田中親賢の共編の遠景山総見寺誌。
 これに、建勲神社の前身織田祠を安土に創立しようとした動きがあったことを伝えている。
これは後に、現京都船岡山に創立して事止みになったようであるが。

明治時代の総見寺は、記録がなくよく分かってないのが現実ですが、考えられるのはこの時期に作られたのではなかろうかということ。昭和15年の発掘に関わった方が知っていたら、何らかの情報があってしるべきで、江戸時代末までは、五輪塔であったとの推測から、日名子さんより一世代前と推論した。
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