織田信長墓

建仁寺方丈前にある、十三重石塔は織田信長の供養塔である。
建仁寺の側溝から出てきた?と何かの本で読んだことがあるが、施主は有楽斎だと思っていたが、どうやら違うようである。
玉仲遺文によると、
娑婆世界榑桑国泉州堺南之住、大願主今井宗久禅人、天正十年龍集壬午林鐘初二日、伏植 大相国薨、重建 十三級石塔、而安置仏舎利、以表 顕一代之武徳、要脱生死也

施主は、今井宗久のようである。また、一周忌に際しても玉仲が塔婆を書いている。(古溪宗陳 竹貫元勝著 2006年 淡交社)

建仁寺は、常時拝観できないのでご注意を。同じ境内に安国寺恵瓊の墓があるのは愛嬌か、縁か。

京都東山阿弥陀ヶ峰山頂にある豊臣秀吉の墓は、大徳寺総見院にある織田信長墓をモデルにしていることは、知られていない。
明治になってから掘り起こされた秀吉の遺体は、中腹から山上へ移された。その墓形態をどうするか考えた結果、信長墓をモデルにすることになったという。
H8年大河ドラマ秀吉のオープニングシーンで、子供が階段を駆け上がって行くところがあるが、あの唐門付近に、初め葬られたようである。

総見院の織田信長墓は、秀吉が施主となったことは残されている文書から確認できる。
しかし、この信長墓、裏から見た方は多分いらっしゃらないと思うが、何故か△のマークが入っている。
ちなみに、秀吉の墓に、△は入ってない(笑

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豊国廟と豊国神社

 泰巖宗安記ブログの記事織田信長墓の中に秀吉の墓についての話がでていた。信長の墓

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秀吉の墓の謂れはまったくしりませんでした。
遠からず散歩がてら手を合わせてきます(^^;

武藤様
コメントありがとうございます。
狩野展もありますので、散策もいいかも知れませんね。

建仁寺石造十三重塔

やはり施主は今井宗久でしたか。

以前、拙ブログでこの石塔のことを取り上げたことがあり、『京都古銘聚記』に掲載されていた銘文に「□□国堺南之居住大願主[   ]」とあったので、今井宗久かと推定していましたが、やはり全文があったのですね。

http://dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-105.html

「玉仲遺文」というのは何に載っているのでしょうか?

桐野様
玉仲遺文は、上記竹貫さんの本からの引用です。
大徳寺禅語録や、茶道文化研究にも見当たらないので、活字化されていない様な気がします。



プロフィール

Author:k2。
京都府在住のいち信長ファン。
織田信長の戒名は「総見院殿泰巌宗安大居士」。
泰巌宗安とは、織田信長が生前に笑嶺宗訴から与えた道号。
と、言われてます。

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