久しぶりに女性史についてご紹介したい。
織田信雄の室について、先に論じたことがある北畠具教の娘、雪姫が正室。
寛政譜に継室とある木造具政の女。そして、織田家雑録にある継室津田長利女。織田信清の女で先に安土殿ではないかと論じた女。
二代宇陀藩主織田高長の母は、久保三右衛門の女である。
久保氏は、信雄の家臣であったが、他の女の父に比べると低い身分であったことは歪めない。
久保三右衛門は後に前田家に仕えた。その縁かどうか分からないが、高長は前田家に仕えることになる。
この高長は、父常真の奨めで織田家に戻ることになった。
しかし、母の動向は他の信雄の室同様よく分からなかったが、墓所であった所が判明した。法名は壽徳院とある。(出典は、諸事情でひかえせせて頂きます)
壽徳院と分かり、高野山悉地院過去帳に
壽徳院乾室宗元大姉 施主織田出雲守様 寛永二十一年十月十五日
とあるのが、高長母と結び付けられなかったが、やっとすっきりした。
高長母は、信雄追放の時(1590)に高長を生んだ。その後の動向は分からないが、長生したのが幸い?してか、高長が引き取ったのであろうか、最期の記録が残ることとなった。
織田信雄の室について、先に論じたことがある北畠具教の娘、雪姫が正室。
寛政譜に継室とある木造具政の女。そして、織田家雑録にある継室津田長利女。織田信清の女で先に安土殿ではないかと論じた女。
二代宇陀藩主織田高長の母は、久保三右衛門の女である。
久保氏は、信雄の家臣であったが、他の女の父に比べると低い身分であったことは歪めない。
久保三右衛門は後に前田家に仕えた。その縁かどうか分からないが、高長は前田家に仕えることになる。
この高長は、父常真の奨めで織田家に戻ることになった。
しかし、母の動向は他の信雄の室同様よく分からなかったが、墓所であった所が判明した。法名は壽徳院とある。(出典は、諸事情でひかえせせて頂きます)
壽徳院と分かり、高野山悉地院過去帳に
壽徳院乾室宗元大姉 施主織田出雲守様 寛永二十一年十月十五日
とあるのが、高長母と結び付けられなかったが、やっとすっきりした。
高長母は、信雄追放の時(1590)に高長を生んだ。その後の動向は分からないが、長生したのが幸い?してか、高長が引き取ったのであろうか、最期の記録が残ることとなった。

