十二月十二日

十二月十二日

ヒストリアを見た。
伝二ノ丸下、お白州にあれだけの人は無理(笑
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~ Comment ~

No title

思わずツッコミたくなった点は同じですね(笑
まさに「死人に口無し」。そして、製作者サイドの権威妄信を改めて感じました。

北垣さんのお話、自分には「言われてみれば」でした。

千田さんのバルコニー説、『信長(公)記』における「広さ北南へ廿間、西東へ十七間」の謎に対する答えではなかったのでしょうか?
日本の建築に対する知識のない外国人画家によるデフォルメも考慮あるべきだと思います。
それにあれでは、現代のビイルディングにおける屋上かよ、と言いたくなります。あの様な構造であったとすると、下の階は雨漏りが酷かったことでしょう。
素直に懸け造りの舞台と考えるべきではないでしょうか。
ttp://castles.noblog.net/blog/f/10907404.html

そして肝心の天主本体の問題ですが、そもそも不等辺多角形の天主台の全面に建物が載せられていたと断定すべき証拠はなく、天主台ではなく天主廓と考えれば余地があっても問題はありません。
むしろ異様な広さの入り側縁を廻らすのは、周囲を壁で覆った櫓建築を御殿=住宅として用いるうえでは採光の面でも不都合この上なく、疑問です。今回採用された復元案での縁の幅は、もっとも重要な南側において番組で紹介された犬山城天守の倍以上ですから、座敷はかなり暗くなってしまいます。
まぁ、床や天井が総漆塗りだったとすれば反射で明るかったのかも知れませんが、足元がそんなに光っていては落ち着けませんし、往来の激しい入り側の床をわざわざ漆塗りにしたとは考えられません。
番組でわざわざ入り側縁を廻らしたことで「明るい」と解説していたのは、製作者サイドがそう強調されて説明を受けていたのではないかと勘ぐってしまいます。

No title

その上で改めて感じたのは、死者に鞭打つような番組の作りです。

故・内藤昌さんの吹き抜けを持った復元案ですが、「天守指図」の件を紹介しなければ、吹き抜けが内藤さんの想像産物との誤解を与えてしまうのではないでしょうか。
NHKでは過去に散々、内藤さんにお世話になっているのですから一言説明あってよかったのではないかと思います。

次に故・宮上茂隆さんの復元案に対する批判ですが、そもそも上部が崩壊してい現状では二段構造の石垣の可否は判断はできません。
それに実際に復元図を作成された木岡敬雄さんは二段構造には疑問であったということで(宮上さん自身も?)、現在はそれを修正した案を提示されています。
それでも不自然に北側を凹ませ「11間に12間」という規模(秀吉の大坂城天守)に拘っておられますが、建築学的には今も有力な説だと思われます。

そして今回取り上げられた佐藤大規さんの案ですが、三浦先生の指導を受けたのは確かでしょうが、あくまでも基本考証は佐藤さんのものではないでしょうかね。軽く批判させていただきます(笑
その当否ですが、先に述べたような状況から、上部望楼部の規模を記録よりも大きく(上1階・3間×3間→4間×4間、上2階・4間×4間野→5間×5間)しているにもかかわらず、一部に「ろくろ首」と揶揄されているように異様なほどにプロポーションが悪いのは否めませんし、間取りも『信長(公)記』の説明とは順番を入れ替え、記録にない棚などの付加設備を付け加えるなど、かなり恣意的だといわざるを得ません。
佐藤さんのそれは、宮上さんがすでに亡く、内藤さんもご高齢から半ば隠居?という状況下の後だしジャンケンで注目されるようになったとの感が否めません。

まぁもっとも、今回の番組は天主本体だけではなく高石垣の構築法や天主台下西側の礎石群の謎にスポットを当てたものですから、うるさく言うべきものではないかも知れませんが。

バルコニー

Tm様
コメントお待ちしてました。
バルコニー説は、驚きましたね。建築に関して素人なので、雨漏りかどうかは分かりません。
ただ屋根もなかった野ざらしというのは、傷むのも早かったのではと思います。
 安土は、天候が変わる分岐点みたいなところで雪も降る所ですので、あれだったら雪おろしも大変だったろうなあと、思ってしまいました。
 あの外国人画家の版画ですが、百々橋口方面から描かれたであろう天主の前にある伝二ノ丸の構造物は、何ら障害にならなかったのかとの疑問があります。それもデフォルメかもしれませんが。


 

No title

Tm様
NHKの番組作りですが、鈴木さんの著作でも同様の指摘がありますね。
新説を紹介していると、解せば理解できるのではないでしょうか。
 天守指図の説明がなかったのは、その通りですがこんなのは序の口で(笑
それを言い始めては、あの手の番組は見ていられません。作り手の問題でしょう。
先週のも、金子さんのコメント取られてましたけど、その著作を読んだのかよと突っ込みたくなるほどの出来でした。

二段構造というのは、天主台南側の石垣のことでしたでしょうか。
あれは、当時のものではないように思いますが。

佐藤説。ろくろ首ですか。確かに言われてみればですが。
私は、イメージだけで満足しているので(笑 反論する材料はないのですが。
今後は、佐藤説一本でいきそうですね。

No title

今回のバルコニー説では下も建物と成っていたということですから、屋根が無いというのは致命的でしょう。
最上階に外縁を廻らした天守のいくつかは、風雨に晒され腐りそこから雨水が内部へ浸入するするのを恐れ、後に外壁を取り付け内に取り込んでいますし、現存では松本城天守が建築段階で変更し内縁としていますし、松江城天守が当初からそのような配慮のもとに建てられています。

ご指摘の積雪問題は意外と重要かも知れません。
巨大な天主の屋根の上に積もった雪が、もし周囲の建物の上に滑り落ちたら相当な被害が出たのではないでしょうか。
雨水にしても同様であり、その為にも天主の周囲に適度な余地が必要だったのではないかと思います。

>二段構造というのは、天主台南側の石垣のことでしたでしょうか。

あれは遺構保全の為の後補であり、宮上さんのそれは秀吉の大坂城を参考に、不等辺多角形の石垣の上に、もう一段低い高さの矩形の石垣を築いて天主本体を載せていたという考えであり、現状ではそれに当たる部分の高さが崩れてしまっているわけですから、番組で言っていたように痕跡が発見されていないからって否定されている訳ではありません。
木岡さんによる最新修正版では、巨大な不等辺多角形の石垣の上に基壇程度の石垣を組んで矩形の天主本体が建てられていとされています。規模としては姫路城天守と同じ位でしょうか。

>佐藤説。ろくろ首ですか。確かに言われてみればですが。

それでも後に江戸城や名古屋城の天守が建てられるまでは大型の天守と言ってよく、もし不等辺多角形の天主台全面に建てられていたとすればそれらに匹敵する超巨大な平面を持つ天守であり、それでいて望楼部の規模は金閣、銀閣などの楼閣に倣ったものですからプロポーションが悪いのは当然です。

No title

Tm様
あの下からは、他には謎の陶磁器と、鍬の先の部分が重なって出土したのではなかったでしょうか。
倉庫のような感じでしょうか。

宮上説、そうでした。
上部は崩壊しているので、何ともいえませんね。
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