十二月十三日

十二月十三日




西教寺の墓のつづき
向かって左側。
慶長八年十二月九日
橘楽院殿養月○昇大姉
間違ってるかもしれませんが、没年は間違いないです。
その左側面を、画像としてアップしました。
山中山○と読めて、あいだが摩滅していて、読みづらくまた、山中と下のほうに見れました。
当初、西教寺客殿を寄進した大谷吉継母の東殿ではないかと思ったのですが、棟札には本岳盛妙大姉とあるので別人でしょうか。没年からいけば、辻褄はあうように思ったのですが。

当墓が間違われた原因は、頭に「橘」がついているからでしょうか。


新修大津市3 近世前期
京都戦国武将の寺をゆく
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