某家系図に、忠盛に、妾に一女有、十五才ニテ信長ノ妾トなり、天正二年に信親を生んだという。
また、信忠に仕え妙覚寺ニ館ス。という?
で、本能寺の変時、その場を逃れ、天正十一年正月に土佐に行ったという。
数え年八歳で出陣し、妙覚寺にいたのも変な話だし、何故土佐へ?という疑問もある。現代に通じる系図であるが、信長の妾が載る系図は珍しく、貴重なものだが、何ともいえない系図である。この系図が正しいなら、天正二年生まれなので、九男信貞と同年になるので、十男?ということになる。
信忠
信雄
信孝
秀勝
信房
信秀
信高
信吉
信貞
信親
信好
長次
となる。
また、信忠に仕え妙覚寺ニ館ス。という?
で、本能寺の変時、その場を逃れ、天正十一年正月に土佐に行ったという。
数え年八歳で出陣し、妙覚寺にいたのも変な話だし、何故土佐へ?という疑問もある。現代に通じる系図であるが、信長の妾が載る系図は珍しく、貴重なものだが、何ともいえない系図である。この系図が正しいなら、天正二年生まれなので、九男信貞と同年になるので、十男?ということになる。
信忠
信雄
信孝
秀勝
信房
信秀
信高
信吉
信貞
信親
信好
長次
となる。
この記事へのコメント
家系図については複数存在したりして、どれが正しいのかわからなかったりしますよね。
ただ信長公の場合は資料も豊富で調べやすいので羨ましいです。
信康に関しては我が家とは違う系図の方が世間的に認知されているようで、少し困っています。
織田信長大辞典だったかな?そこに載っていた信康の系図では、我がご先祖様の名前が無く、家系図上存在しない名前がありました。
Wikipediaでもそうですが、信益という人物は我が家の家系図上は存在しません。
我が家の家系図の方が正しいというつもりはありませんが、犬山市が認定している織田信康の末裔さんの家系図には、我が家の家系図とは出生の順番は違うもののほぼ同じ名前が並んでおり、我が家の系図の方が信憑性があると考えています。
この件に関してブログの記事にすると言っておきながらまだしてません。
必ず記事にはするので気長に待っていて下さいね。
ただ信長公の場合は資料も豊富で調べやすいので羨ましいです。
信康に関しては我が家とは違う系図の方が世間的に認知されているようで、少し困っています。
織田信長大辞典だったかな?そこに載っていた信康の系図では、我がご先祖様の名前が無く、家系図上存在しない名前がありました。
Wikipediaでもそうですが、信益という人物は我が家の家系図上は存在しません。
我が家の家系図の方が正しいというつもりはありませんが、犬山市が認定している織田信康の末裔さんの家系図には、我が家の家系図とは出生の順番は違うもののほぼ同じ名前が並んでおり、我が家の系図の方が信憑性があると考えています。
この件に関してブログの記事にすると言っておきながらまだしてません。
必ず記事にはするので気長に待っていて下さいね。
2007/11/26(月) 21:18:40 | URL | 雪姫 #PEzb7U0I[ 編集]
雪姫様
雪姫様のご先祖織田左近将監つまり、謙亭=玄貞ですよね?先日その玄貞が話題にのぼりました。
色々考えられること多々ありそうですが、気長に待っております。
雪姫様のご先祖織田左近将監つまり、謙亭=玄貞ですよね?先日その玄貞が話題にのぼりました。
色々考えられること多々ありそうですが、気長に待っております。
2007/11/26(月) 22:45:35 | URL | k2 #-[ 編集]
玄貞なんかが話題になったんですか!?
嫡男の信清と違いマイナーな玄貞を話題にして下さりありがとうございます。
玄貞は信長公の芥川城の三好討伐の際に軍奉行をつとめた他には大した武功も挙げてませんし、石山本願寺との戦いで戦死しております。
ところで、謙亭と玄貞は同一人物なんでしょうか?
その様な記述が家系図には載ってないので、謙亭が玄貞なのか私自身わかりかねています。
その件についてもし何かご存知ならご教授願います。
嫡男の信清と違いマイナーな玄貞を話題にして下さりありがとうございます。
玄貞は信長公の芥川城の三好討伐の際に軍奉行をつとめた他には大した武功も挙げてませんし、石山本願寺との戦いで戦死しております。
ところで、謙亭と玄貞は同一人物なんでしょうか?
その様な記述が家系図には載ってないので、謙亭が玄貞なのか私自身わかりかねています。
その件についてもし何かご存知ならご教授願います。
2007/11/27(火) 23:47:22 | URL | 雪姫 #PEzb7U0I[ 編集]
雪姫様
私は横で聞いてただけですが、ある説を話してますと、それを否定する、そのかけあいが、勉強になるのですが、私には、なかなかついていけませんが、、
謙亭=玄貞は、谷口先生の辞典での、推論です。
玄貞は、石山合戦で討ち死にですか。
それは、初耳です。気長に待ちますので、記事楽しみにしてます。
私は横で聞いてただけですが、ある説を話してますと、それを否定する、そのかけあいが、勉強になるのですが、私には、なかなかついていけませんが、、
謙亭=玄貞は、谷口先生の辞典での、推論です。
玄貞は、石山合戦で討ち死にですか。
それは、初耳です。気長に待ちますので、記事楽しみにしてます。
2007/11/28(水) 00:12:17 | URL | k2 #-[ 編集]
すみません、以前書き込んだコメントに訂正したい部分があります。
明石市の信康の末裔さんの系図に信益の名前が見当たらないと書きましたが、家系図上の某と書かれた下に解由左衛門と注釈書きみたいに小さく書かれています。
解由左衛門=信益ですよね。
しかし基本的に家系図に某と書かれているのは女の場合が殆どで、某と書かれている人物を推定で解由左衛門としているように見受けられたので存在しないと書き込んでしまいました。
我が家の系図にも某と書かれた人物が存在しますが、解由左衛門や信益といった名前の記述が見当たりません。
正直なところ信益が本当に信康の子なのか疑問に思っております。
明石市の信康の末裔さんの系図に信益の名前が見当たらないと書きましたが、家系図上の某と書かれた下に解由左衛門と注釈書きみたいに小さく書かれています。
解由左衛門=信益ですよね。
しかし基本的に家系図に某と書かれているのは女の場合が殆どで、某と書かれている人物を推定で解由左衛門としているように見受けられたので存在しないと書き込んでしまいました。
我が家の系図にも某と書かれた人物が存在しますが、解由左衛門や信益といった名前の記述が見当たりません。
正直なところ信益が本当に信康の子なのか疑問に思っております。
2007/12/03(月) 05:08:35 | URL | 雪姫 #PEzb7U0I[ 編集]
雪姫様
信康の子は、系図によってまちまちですよね。
この信益ですが、お察しの通り亨禄年中生まれ(高田氏譜牒)という資料があり、信康より年長者らしいです。この辺りといいますか、信康の子はややこしいですね。谷口先生が今、この辺りのこと、織田氏のこと執筆中らしいので、是非注目して下さい。
信長の母親が、土田氏と言われてます。これは、可児市の土田なのですが、何故、津島の近くが本拠であった織田弾正忠家の嫁が可児から?と考えてましたら、元々この弾正忠家の家系は、この犬山近辺が出身ではなかったかと考える様になりました。
証拠がないので、確信はないですが、色々考えるのも楽しいですね。
信康の子は、系図によってまちまちですよね。
この信益ですが、お察しの通り亨禄年中生まれ(高田氏譜牒)という資料があり、信康より年長者らしいです。この辺りといいますか、信康の子はややこしいですね。谷口先生が今、この辺りのこと、織田氏のこと執筆中らしいので、是非注目して下さい。
信長の母親が、土田氏と言われてます。これは、可児市の土田なのですが、何故、津島の近くが本拠であった織田弾正忠家の嫁が可児から?と考えてましたら、元々この弾正忠家の家系は、この犬山近辺が出身ではなかったかと考える様になりました。
証拠がないので、確信はないですが、色々考えるのも楽しいですね。
2007/12/03(月) 22:23:59 | URL | k2 #-[ 編集]
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2007/11/25(日) 11:51:09 | マッシュアップサーチラボ

