泰巖宗安記
信長ファンの独り言。
特別公開、「信長公の奥座敷」
2007年11月23日 (金、祝)
信長時代の庭園跡の、現説があるということで、行って参りました。
庭園跡もさることながら、一度確認したかったことがあったからもあり、岐阜へ行くことにしました。
それは、去年刊行された「信長とは何か」小嶋道裕著において、千畳敷の信長居館は、四階建てではなく、温泉旅館の増築を重ねたような構造ではなかったか?を、実際見てみたかったのです。
岐阜城へは、何回も行ってますが、来る度に景観が変わって行ってますね、良いのか、悪いのか分かりませんが。発掘調査跡は、ロープウェイ乗り場の一段上でして、はずかしながら、初めて行きました。いつも何でこんな所に三重の塔が、、、と思っていた、下側で有り、川原石が見つかったことは、知ってましたが、実際見て、現在の岐阜公園内の池と比較し、往時の情景を思いながら、説明を聞く。庭園があるという事は、その向こうには、借景があったのでは?との説明に、なるほど、その奥石壁?(表現が難しい)に水が流れ落ちる、瀧の跡の様な感じがする。後で質問させて頂いたが、その下に水を受ける跡の様なものが見つかれば、瀧の跡と分かるのですがと、おっしゃられてました。
そして、その温泉旅館の増築の構造ですが、それは、説明者の方も、一番上に茶室云々とおっしゃられてましたので、やはりって思った。
フロイスの記述と、現場を重ねて見ると、なるほどと思うこともあり、また、建物がないので、色々考えながら見てまわった。
3区と呼ばれる、茶室があったと思われる場所は、山の中で、フロイスの記述と一致するし、ハレとケで言うと、ケではないでしょうか。
来年に、その茶室があるのでは?と思われる所を調査されるとのこと、非常に楽しみである。で、どうしても触れておきたいのは、二階の婦人部屋と呼ばれる所である。
現明治天皇像があるところなのだが、ここが濃姫の部屋ではなかったかと言う事である。過去記事でも触れてますが、この時点では、存命してると思ってるので、この場所こそ濃姫の部屋と批定してもおかしくないのでは?濃姫ファンには喜ばしいことではないでしょうか。
今まで、四階建てと私も思っていたので、茶室の発見の記事を待ち、裏付けを取って頂きたい。
最後に、フロイスの記述にある1パルモという用語は、手を広げたときの親指の先から小指の先までの長さで、約20cmだそうです。
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 秋晴れの休日、現地説明会を機会に岐阜まで遠征した。岐阜の街には何度か立ち寄った
2007/11/24(土) 01:13:22 | むとうすブログ