某子孫本

某子孫本



コメント欄ではなく、こちらで。
先日来某ブログで盛り上がってました。
今日著者さんが、Tmさんを某大学の某准教授ではないかと言いはじめた。
自説を否定された結果、こんなことになるとは驚き。
6月24日産経新聞にて、林原美術館にて「石谷家文書」が発見された。
通勤さなか、某テレビ番組のコーナーで紹介されていて早速コンビニに駆け込んだ。
同博物館の内池英樹学芸課主幹は、この発見で50点程度だった四国説が80点までになり、他説に比べ一歩ぬきんでた」と話す。
 あの書状の内容で、何故ぬきん出たのか理解できない。
違う意見を持った方を、理解するのは難しいですね。


書棚から、427を久しぶりに取り出して読み返した。
某氏に一度貸したけど、ここでは書けない返答でした事を思い出した。
記憶が飛んでたけど、思い出した。読み返しているうちに、あまりの内容に嫌気がさしてきた。
確か藤本さんが反論されていたように思ったので、その本も再読してみた。

土岐桔梗一揆なるものも、何度か読み返しましたけどよく理解できません。
おおよそ、歴史研究とはほど遠いものと思います。
土岐氏の誇った強い結束力が再現され、光秀の目指す強力な家臣団「土岐桔梗一揆」が作られていったのです。光秀は土岐氏再興の盟主として、自他ともに認める存在になっていきましたとある。
自他共に認められたなら「維任」姓を受けずに、土岐姓を名乗ればよかったのに。

今宵はここまでに。




スポンサーサイト
Guide
  •  …この記事と同じカテゴリの前後記事へのページナビ
  •  …この記事の前後に投稿された記事へのページナビ
 

~ Comment ~

NoTitle

件の元親の書状の内容、信長が安土に帰城したのが四月二十一日だとすると、五月二十一日付けではいくらなんでも情報の伝達が遅すぎるように思われます。
もしかしたら現物は控えの写しで、日次を間違えているか、あるいは改竄されているのではないでしょうか。

もしそうであったとしたら光秀の手元にも届いて、信長に披露したものの受け入れられず、それが足蹴事件ではなかったのかと・・・・・



と言う意味で指摘したにもかかわらず、あたかも自分がそれを偽文書と見ていると決め付けられました。
子孫氏は、万事が万事、他の方々の見解をそのように決め付け批判しているわけですから話になりません。

NoTitle

Tmさん
いやいやお疲れさんでした。
どれからつっこんでいいのか分からないぐらいです。
取り急ぎ返信致します。





(削除されるかもしれないので残しておこう)
桐野さんへの強烈なインパクトあるコメント。
ご自身の論理の破たんを光秀の論理の破たんとすり替えて、ご自身の論理を飛躍させた方です。
  ※コメントの編集用
  シークレットコメントにする (管理者のみ表示)

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

MENU anime_down3.gif

同じカテゴリの記事が一覧表示されます
同じタグの記事が一覧表示されます
更新月別の記事が一覧表示されます
キーワードで記事を検索