泰巖宗安記
信長ファンの独り言。
斎藤徳元
道三ゆかりの武将俳諧師 於岐阜市歴史博物館
記事が長くなったので、こちらは別で。
続いて、隣の徳元の展覧会へ。私は、この様なマイナ−な人物が好みである。1559年生まれで、信忠の二歳下であるが、幼少時信忠と接点はなかったのであろうか?と思いつつ会場へ。
比べるのも悪いが永徳展では、展示物が見れないほど盛況だったので、少し寂しい展覧会だった。
が、ゆっくり見れたのだが、俳句自体分からないので、解説者がいると思いつつ、回ると年表有り。すると、1625年高野山へ、秀信の墓へ詣でると有り、質問させて頂いた。
というのも、秀信の墓は、高野山光台院と、橋本向副と二説有り、下山して嫁までもらい、子を儲けて子孫までいらっしゃるので、これは確認、確認と思い親切にお答え頂いた。
斎藤徳元集 笹野隆編 古今書院 S11年
によると、高野の山よじのぼりとあるので、山上をさすと思われる。
つまり、光台院かは、分からないが、高野山に墓があったと思われる。
ここでも句を読んでるのだが、かつての主君秀信の墓参りをするのに、涙が止まらない云々の句を読んでいる。
この記述だけでも、こみ上げてくるものがある。(秀信の墓も、また記事にしてみたい)
徳元は、義龍の妹の子、つまり系図上濃姫の妹の子である正印の子ということであるが、本能寺の変後、近江大溝に蟄居したとあるのが、興味深かった。墓所は、丹後の宮津智恩寺だそうで、機会があれば訪れてみたい。
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