泰巖宗安記
信長ファンの独り言。
本能寺跡調査
朝日新聞 12月27日
信長の最期見た石?
旧本能寺、建物跡が初出土
マンション建設に伴う100平方メートルを発掘し、柱の礎石を支えたとみられるこぶし大の石が数十個集まった「集石」が三ヶ所見つかった。とある記事があった。

知らなかったが、京都新聞23日の一面に記事ガあったようだ。
それを見ると、9月5日に見つかっていたようだ。なぜ今になって発表?したのだろうか。
川上貢京都大学名誉教授(日本建築史)は、柱間が狭く、本堂と考えるのは無理がある気がする」とコメントされている。
とすると、公記にある厩であろうか?興味はつきないが。今日見に行くとマンション建築の基礎部分、コンクリが出来ており、この貴重な遺構も消失したのでしょう。

毎日新聞、京都新聞12月27日
寺の南東部分、堀跡が出土したという。

早速見に行ったが、もう埋められていた。
早いね、仕事が。残念。

追記
本能寺跡、西洞院通りを下がった所に、林羅山生誕地があった。
生まれは、1583年である。そう、本能寺の変一年後である。
地球を丸いと理解した信長と、それを否定した林羅山。
林羅山は、信長の亡くなった場所に近くで生まれたところを見ると、幼少から意識していたのでは?
コメント
この記事へのコメント
本能寺発掘
集石がでた現場は、私が8月25日に立ち寄った現場のようですね、
場所的には元本能寺町の真ん中あたりですよね?

その日には掘り始めたばかりということでしたが、
1、2週間もすれば何か発表できるでしょ
と現場の方が言われておられましたが、随分遅い発表ですね(^^;

何となく公開する機会の無かった写真を名前の横に貼っておきます。
2007/12/27(木) 23:06:29 | URL | 武藤 臼 #-[ 編集]
武藤様
貴重な写真ありがとうございます。
真ん中のほうですか、そちらも昨日埋めたてられてました。武藤様の行かれた日は、私が行った後のようですね。たまに、通えばよかったです。
2007/12/28(金) 22:10:21 | URL | k2 #-[ 編集]
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