泰巖宗安記
信長ファンの独り言。
狂乱と冷徹の軍事カリスマ
桐野様の歴読の連載二回目、拝見。
軍事カリスマの萌芽と題して、幼少の頃のエピソード等をは、自分の今興味ある部分なので、興味深く読み込みました。
朱鞘の朱武者集団に仕立てというのは、ドラマとかに採用されてないが、絵になりそうに思うが。また、それに伴う銭はどこから出たのだろうか?やはり、弾正忠家の跡取り息子だなと感じる(笑
自分が今興味を持って、小説まで読んでる沢彦に関しては、桐野様はスルーでしたね。信長のその頃の行動範囲を考えるうえで、沢彦和尚のいる犬山の永泉寺まで通ったか、他の稽古事と同じように城に呼んだかどうかである。永泉寺には、来たような伝説が残っているが、成長してからかも知れないが。
信秀が出家していた資料も提示されていて、信長が家督を継ぐ経緯も論考されていて興味深い。愛知県史の紀要に安祥城で生け捕りされた信広を廃嫡し、信長が家督を継いだという論考もあり、その辺りを考える上で分かりやすく、また出典も記されていて、大変親切な読みものになっていて、来月も楽しみである。
コメント
この記事へのコメント
沢彦の史料
拙稿へのコメント有難うございます。

沢彦はたしかにスルーしてます(笑)。
「肉体派・信長」というコンセプトを強調した関係もありますが。
沢彦については、じつはよく知らないのです。信長との関係を具体的にうかがわせる史料はあるのでしょうか?
2007/12/28(金) 10:46:31 | URL | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
桐野様
こちらこそコメントありがとうございます。
いえいえ、沢彦に関して桐野様が触れないのは当然でしょう、寺の記録ですから。
岡田正人氏の辞典でも、触れてる「政秀寺由緒書」がそれにあたるように思うのですが。
信長の名を授けたとか、天下布武の印を撰ぶとか、岐阜の名などなど、確かに信長公記には出てきませんね。
書きだしたらきりがありませんが、某氏とタイトルの重要性ついて話題がのぼったことがあり、桐野様が、狂気ではなく、狂乱としたことに何か桐野様なりにお考えがあったのではと、憶測しております。
2007/12/28(金) 23:24:42 | URL | k2 #-[ 編集]
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