浄花院とは?

浄花院とは?

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先日ネット上で阿弥陀寺に浄花院 信長室の写真をアップされている方がいて驚いた。
浄花院 信長室という情報は以前から知っていたが墓石があることは分からなかった。
以前それを見つけていたが、お寺さんに伝えず放置していたら無縁墓に移転させられていた。
それを三年前の信長忌にお参りした際、指摘させて頂いたのですがあまりよい返事を頂けなかったのが残念であったが、
違う位置ではあるが、しっかり戻されていたのは嬉しかった。
 またこの墓石には少し他の墓石の刻印と違和感があり、縦に四行刻印されているのですが、向かって二行目に
浄花院光徳大姉と彫られている。
 四行の場合左右両端に右に年号、左に月日が刻印されているがそうでもないような気もするが、他の刻印が判別できないのが難点で、そのままにしていたのだが。
 一番知りたかったのは没年であるが、紙に残されているのも記載されていないので、どの時代かは不明ながら濃姫と仮託して付けられた戒名かもしれないが、詳細は不明。
 歴読誌で濃姫を書かせていただいた時に指摘させて頂いたのは、「信長公公室」と公が二つあるのは、「信長公後室」の誤りではないだろうかということ。そうすると信長より長生きしたことになるのだが・・・
 濃姫の最期は闇の中。

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~ Comment ~

浄花院について、初めて存在を知りましたが、ひょっとして彼女は、嫡男信忠実母ではないでしょうか?
というのも、定説の生駒吉乃が先夫と死別した時期と、信忠が生まれた時期が近すぎる気がするからです。
織田家は生駒吉乃腹の信雄子孫が江戸時代に残ったことで、織田家全体の歴史が歪んだ形で伝わったと見なしているので、個人的に定説はあまり信用していません。
ただ、濃姫は信秀が亡くなった時点で信長と離縁し、他の人と再婚したのかなと思います。

NoTitle

信忠が崇福寺に出した書状には久庵慶珠で、信雄が施主での高野山の法名が慶菴久性と少し違いますが、高野山のは月日が合ってますので同人ではないかと思います。
 浄花院は濃姫に仮託して、後の人が付けたものかもしれませんし、全く別人の信長室かもしれませんし、信長ではなく別の織田某氏の室が誤って伝わったのもしれませんし、よく分かりません。
 阿弥陀寺の江戸時代の地誌には出てこないので、裏付けが取れません。
現在信長と信忠と信広の木像がありますが、他の記録では秀吉の木像もあったようです。
また、信長、信忠、信雄の木像があったとの記録もあって現状と一致しません。
 阿弥陀寺も分かっているようで、よく分からないところがあります。
濃姫の事績を裏付ける資料を是非ともY子さんが、見出して頂ける事を願っています。
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