トラックバックがよくわからないので、スミマセン。
桐野様のさつま人国誌で話題の近衛信尹。
関白職を秀吉と争い、薩摩へ流された人物だが、詳細は先に紹介した谷口先生の著作や、桐野様のブログに詳しいが、配流されるまでの事になるが、面白いものがある。
上記画像賛を信尹がしているのだがその内容が面白い。
北小路大膳大夫影の由候へとも、
毛頭、不ニ相似 候、
さてもとんなる顔哉、
引きやふりたく候へとも、こらえ候者也、
天正十八年・七朔、与作書 之。
北小路俊直(1530〜1586)近衛の家臣で、死後四年後に賛したものである。
賛文は、いささか乱暴で、公卿としては異例な行動をした信尹らしいところがあるが、却って目下の者に対する愛情がこもっていると見ることも出来ようと論考されてる。
(参照 日本肖像画史 成瀬不二雄著 H16.7)
確かに、この像主禿てるので、気持ちは分からなくは無いが(笑 愛きょうある顔
の様に思うが。
桐野様指摘の様に、この頃には、精神的に不安定であった傍証かも知れない。
桐野様のさつま人国誌で話題の近衛信尹。
関白職を秀吉と争い、薩摩へ流された人物だが、詳細は先に紹介した谷口先生の著作や、桐野様のブログに詳しいが、配流されるまでの事になるが、面白いものがある。
上記画像賛を信尹がしているのだがその内容が面白い。
北小路大膳大夫影の由候へとも、
毛頭、不ニ相似 候、
さてもとんなる顔哉、
引きやふりたく候へとも、こらえ候者也、
天正十八年・七朔、与作書 之。
北小路俊直(1530〜1586)近衛の家臣で、死後四年後に賛したものである。
賛文は、いささか乱暴で、公卿としては異例な行動をした信尹らしいところがあるが、却って目下の者に対する愛情がこもっていると見ることも出来ようと論考されてる。
(参照 日本肖像画史 成瀬不二雄著 H16.7)
確かに、この像主禿てるので、気持ちは分からなくは無いが(笑 愛きょうある顔
の様に思うが。
桐野様指摘の様に、この頃には、精神的に不安定であった傍証かも知れない。

