泰巖宗安記
信長ファンの独り言。
へうげもの 5
古田織部主役のこのマンガ、かなり面白い。
こちらも、ツボをおさえた、ギャグとも何とも言えない笑いがあり、
楽しませてくれる。
この号に、ノ貫(へちかん)と呼ばれる謎の数奇者が登場する。
山科に居住し、古田左介と一騒動起こすのであるが、
この人物のモデルは、善輔(ゼンポ)のことでしょう。

山科ではなく、東山粟田口の近く、粟田神社の東の辺りに、世をすねて住んでいた。
変人に、ドが付くほど変わり者で、オンボロ小屋に炉を設け、いつも

手取釜と名付ける、鉄ビンをかけていた。
湯沸かしはもちろん、ご飯を炊くのもこの手取釜だった。

京都から近江に抜けるこの要路は、旅人が往来していたのを、誰彼なく、茶をすすめ、世間話をし、旅人を楽しませていたのが、話題になり、定職を持たない彼は、ひょうひょうと人のほどこしをうけてまわったという。
この噂を聞いた秀吉が、それを持ってきて茶をたてよという命令が千利休によってもたらせられると、善輔は怒り、取り上げられると思ったか、粉々に砕いてしまった。
利休は、事のまま秀吉に真相を述べると、
「善輔とやらこそ本当の茶道人だ。彼の命を召し上げようとした自分こそ、恥ずべき考えだった」
と、述べ秀吉は元のイメージに残ってる手取釜を二つ作らせ、一つは善輔へ、一つは自分のものとしたという。善輔がいつ死んだか分からないが、その釜は、近くにあった良恩寺に残されてる。直径20センチ、高さ17センチで、蓋にはナスビの葉模様がある風流な鉄ビンである。

後日談で、細川玄旨がその手取釜をもうひとつ作って欲しいと、鋳物師に命じたところ、秀吉様から、二つとの注文だからと断り、恥じ入ったという逸話が残っている。

参照 京都秘められた史跡
コメント
この記事へのコメント
k2殿どうも。

ネットで検索しただけで裏は取っていませんが、ノ貫はノ貫で、善輔は善輔でそれぞれ引っ掛かるも、ノ貫=善輔というのは無いようです。
見逃しているのかもしれませんが、やはりノ貫は山科の住とされいるようですが・・・

ちなみに、今週号のモーニングでは、山上宗ニの最後が描かれていますね。

2008/01/18(金) 01:54:20 | URL | Tm. #GDMnerkk[ 編集]
Tm殿
ご指摘ありがとうございます。
私も検索しましたら、確かに両方ヒットしますね。
ノ貫に関して、恥ずかながら知りませんでしたが、北野大茶会の逸話は、聞いたことがあるような気がしないでもないです。

もう少し時間があれば調べてみたいです。その参照に書いた編者は、そのノ貫が詠んだと言われる「手取釜、おのれは口がさし出たぞ、雑炊たくと人にかたるな」を、善輔に載せています。勘違いですかね?
2008/01/18(金) 22:43:19 | URL | k2 #-[ 編集]
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