05/26のツイートまとめ

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t_souan

安土城考古博物館での春期特別展 信長の家臣たちは6月5日まで。たくさんの資料が一同に会するのは、なかなかない。信長家臣の花押を見比べるのが、話題にあがった。熨しのような勝家、かわいい村井、ロボットっぽい佐久間親子など。 https://t.co/DZXwnvSQqa
05-26 22:03

RT @gnippa: コアラのマーチに信長がいた☆ https://t.co/eM6QE5KFYl
05-26 21:23

今週の真田丸を見て、太郎の足跡探しが棚上げになっているのを思い出した。
05-26 21:00

一般的な理解はだいたいこんな感じ。石松丸と南殿は、奉加帳では並記されていないので親子かどうかは推測でしかない。徳勝寺の位牌も朝覚 大禅定門 次郎秀勝君 位牌銘が後付けであるのは、一目瞭然。 https://t.co/5POaRHXmW4
05-26 20:51

竹生島奉加帳に見られる、石松丸がこれに該当するかは決め手に欠けるかもしれないが、その可能性は高い。妙法寺の伝承を否定的に見る向きは、発掘調査前なら、首肯できるが石松丸は一次史料に登場するのに♪
05-26 18:16

妙法寺には本光院朝覚居士画像が伝来していたが火事で焼失。伝羽柴秀勝として紹介されているが、像主を見るかぎり、元服前の童子像なので秀勝という諱は後付けであろう。そして本光院という院号も墓石に刻まれていないので、画像自体は後に回忌供養に作成されたものであろう。
05-26 17:56

この大型の塚墓であることからも格式の高さを表し、16世紀後半に湖北を統治していた大名の一族墓であることを確認できる。その供養塔に表面に南無妙法蓮華経 朝覚 霊位 そして左右に天正四年十月14日と刻まれている。当時の統治者は羽柴秀吉。
05-26 17:45

切石に囲まれた、立方体式箱棺と名付けられた伝秀勝墓は南北約5メートル、東西3メートルあり底面の深さまで1.3メートルあることから土盛り部分は、少なくとも1.5メートルほどはあったと推測される。この上部に供養塔が置かれそれを保護するため鞘堂が設置していたものとおもわれる。
05-26 17:35

長浜妙法寺に伝承される伝羽柴秀勝墓は平成16年3月に学術調査報告書が刊行されており、当時の大名一族墓と断定できたとし、大名家の埋葬形式の初源を知るうえで貴重な発見となった。
05-26 16:53

RT @arukeiarukei: そろそろムロツヨシ、柳楽だと思っていたし、意外感なさすぎで、総じて思った以上に新味に乏しい。色々隠してる感じはするけど、義元に海老蔵あたり持ってくるかな(古田新太だったりして。松尾スズキだったりして)。#おんな城主直虎
05-26 14:21

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NoTitle

コメントありがとうございます。
反響も何もなかったので、お読み頂き感謝いたします。

崇福寺の件ですが、調査の対象になっているような調査報告書などは目にしたことはないです。もしかしたらあるのかもしれません。
 あとほんの最近ですが、必ずしも「御台」が正室を指すものとはかぎらないと思われる史料があったので、お鍋の方でも大丈夫だと思うのですが。

また新たな資料が出てくればいいのですが。
私も死ぬまでは(笑 手を合わせたいと願っています。
 

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