泰巖宗安記
信長ファンの独り言。
粟田口 2
フロイス日本史より

前略
信長の名誉のため、明智の身体と首を彼が信長を殺し、他の首が置かれている場所に運んだ。(中略)彼はこのようにして実に惨めな最期を遂げた。しかも、かかる際、彼は異教徒の身分ある者が名誉のために行う切腹をするための時間すらも持ち得ず、貧しく賤しい百姓の手にかかり、不名誉きわまる死に方をしたのである。

それのみか、三七殿は、身体に首を合わせた後、裸にして、万人に見せるため、街はずれの往来が激しい一街道で十字架に懸けるように命じた。

光秀の遺体は、本能寺で晒された後、信孝によって晒されたらしい。
このフロイスの記述が、粟田口を指すことは間違いなさそうだ。
光秀も、2日兼見と会談したこの場所で、10数日後この様な姿になろうとは、思わなかったでしょう。

現在、粟田口は、インクライン(琵琶湖疎水)と、蹴上浄水場に挟まれた三条通りは、面影は皆無と言って良いほど消し去っている。
京への出入り口、粟田口もう少し拘って、書いてみたい。
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