泰巖宗安記
信長ファンの独り言。
下京中出入之帳
元亀四年六月十八日 (群書類従から)

濃姫の養子になったか、どうかは軍記ものに出てくる記述であり信憑性に関して低いと言わざるを得ないでしょう。これを裏付けるものではないかと私は思っているのが上記資料。

有名な上京焼き打ちの際、被災を免れた下京の献金リスト。
この筆頭に出てくるのが、
銀拾貫七百五拾匁 殿様
同壱貫弐百九拾匁但金三まいふん 政様

中略

同弐百目ししら拾端 政様
同百目 同 御きみやう様

この政様が、=濃姫。正室を指すのでしょうか?
この政様が、養子にしていた御きみょう様(信忠)と共に上洛をしていたのでは?と思うがいかに。献金の筆頭は、
銀弐百拾五匁 妙覚寺
そう、道三の子が入ったと言われる妙覚寺というのも濃姫の影ガあるような無いような。

ところが、大日本史料の名は、
政様のところは、殿様となっているので真意は不明であるが、濃姫であって欲しいと思ってい
る。

コメント
この記事へのコメント
政所様?
「政様」が帰蝶ではないかという解釈ですね。
大変面白いです。「御きみやう様」より前で、
殿様」こと信長よりあとの地位といえば、正室ではないかという推定でしょうか。

「政様」は「政所様」という意味でしょうか?
ただ、このときは信長が洛中に軍勢を動員していて、義昭方と戦争するという物騒な時勢ですから、夫人を同伴したかどうか。あるいは献金は岐阜にいる人にも贈れますね。
2008/02/11(月) 17:11:36 | URL | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
桐野様
コメントありがとうございます。
帰蝶が、政所様の解釈ですが本名が「政」であったかも知れません(笑)

2008/02/12(火) 18:04:15 | URL | k2 #-[ 編集]
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