泰巖宗安記
信長ファンの独り言。
長坂街道と鷹ヶ峰 中世の道
京都紫野・鷹ヶ峰の地域文化学 仏教大学紫野校地学術調査報告書より
福島克彦著

前に記事にした中村武生氏の著書で興味を覚えた、長坂口について何かないかと調べていたらこの書を見つけた。京から、丹波そして若狭に行く為にはこの長坂口を通って行くのだが、、

現在は、この道ではなく高雄を経由して行く国道162号線を使うのは、車を使うようになってからのことであり、それまではこの長坂街道が使われていたようだ。
先日の大雪の日、反対側からだが、中川から杉坂そして京見峠を抜けて、鷹ヶ峰と通ってみた。(中川というのは、高雄と周山の間ぐらいに当たる)

この論文は、信長以前の歴史についても論考されてる。
信長と関係あるのは、秀吉の有名な大徳寺での葬儀の際、葬礼をこの長坂口の南蓮台野で行うのであるが、秀吉は、お次と共にここまでの葬礼の列に参加したという。

この記事の特筆すべきは?と言いますか、私が二条城と桃山城以外で、京都の城で初めて知ったのが、京見峠の上にある堂ノ庭城跡があるからです。
といっても、当時はこの名すら知らず、ただ明智光秀が建てたものであるというのを聞いただけなのだが、、。この城とは言っても、50メートル四方に収まるような小規模な城であり、光秀が築いたというのも、怪しいらしい。

京都の散策される方でも、こんな辺鄙な所まで足を延ばされる事はないでしょうが、見晴らしは最高です。
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