泰巖宗安記
信長ファンの独り言。
織田信清
十郎、十郎左衛門、下野守。犬山鉄斎と号する。
妻は信秀の女で、信長の姉婿(勢州軍記)
永禄元年(1558年)浮野の戦いでは信長に味方し岩倉を破った。
その後、対立し犬山城を落とされて甲斐に浪牢した。

武田勝頼一族一條右衛門大夫家に居す(稲葉家譜)

武田信玄時代の家臣団の書きあげ
御とぎ衆
一、小笠原安斎 一、板坂法印 一、同卜斎
一、山本大林 一、寺島甫庵 一、岡田堅桃斎
一、小俣清甫 一、一花堂 一、長遠寺
一、新藤金藤斎 一、市川宗三 一、犬山鉄斎
御はなし衆、御看経所の御番也。
甲府市史 史料編第一巻

甲斐攻略時、どうなったかは神奈川県史 資料編3
織田信長書状案寫
武家事紀二十九
尾濃之浪人、始土岐美濃守、岩倉・犬山等、小屋ニ蟄居候、
是ハソレソレニ相計候、
宇野文書
尾濃牢人、始土岐美濃守、犬山・岩蔵等執立候、

とあり、生害させられなかったようだ。

明石織田文書
豊臣秀吉朱印状
名護屋為見 廻、帷子弐寔遠 路到来、悦思 申候也、
六月十九日
鉄斎
豊臣秀次朱印状
鷹三到来、 遠路志之事、 被悦思召候也、
正月十五日
津田鉄斎
とあり1590年代までは存命のようである。
明石織田家は、犬山城主織田家の末裔ナリ(犬山市史 史料編三)

*讃岐(香川県)に食客したとの記述があるものを読んだことがあるが
裏付けが取れていない。


コメント
この記事へのコメント
こんばんは

同じ一族である信清の事が知れて良かったです。
ありがとうございます。

明石の織田家に伝わる家系図が記載されている“織田信長の系譜”という著書を、岐阜の金華山ロープウェイの売店にて購入しました。

その著書では、信康の家系図は複数存在しており大小異同である…と書いてありました。

実際に我が家に伝わる家系図と少し違っていました。

我が家の家系図では四男である信清が、明石織田家の家系図では長男。
我が家の家系図で二男の玄貞(先祖)が明石織田家の家系図では四男として記載されています。

この家系図についての詳しい記載等は、後日ブログの記事にしたいと思っています。

ちなみに明石織田家と我が家の両家系図にWikipediaの織田信康の所に子として記載されている信益の名が見当たりません。

2007/06/07(木) 02:29:10 | URL | 雪姫 #PEzb7U0I[ 編集]
雪姫様
コメントありがとうございます。
雪姫様ご先祖(玄貞)は、谷口先生家臣辞書の謙亭
に当たる人物なのでしょうか?そうすると織田左近将監とも名乗っていまして、没年不詳となっておりますので、ブログでの記事楽しみです。

信清が長男ではないというのも興味あります。
信康と信秀が合戦後、和睦の証に、女が信清に嫁ぐことになりますが、そのあたりに廃嫡?の理由があるのでしょうか?楽しさがつきません。
2007/06/09(土) 15:17:19 | URL | k2 #-[ 編集]
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