郷土文化62−1 横山住雄著
この論考、去年の発表なのだが、あまり話題にならなかったのでしょうか?
一読して、驚き又、納得する事多く私は支持しますね。
さて先に結論を言いますと、東京お茶の水図書館蔵、「快川和尚法語」にある
雪溪宗梅大禅定尼 小祥忌塔
それに、天正元年十二月二十五日没とあるこの女性が、岐陽太守鐘愛の女性とある。
この岐陽太守は、信長を指す事は間違いなく、そうすればその女性とは濃姫しか考えられないだろうという論考である。
そこで、快川和尚が何故、濃姫の一周忌を挙行したかについては、以前著者が述べられた信長に嫁ぐ以前に、土岐頼純に嫁していたのではないかと言われた事が真実味が帯びてくる。
頼純の居城大桑城と、当時快川の住持していた南泉寺が同じ山県市内なのである。
以前ブログ記事でも触れたが、濃姫の生存を裏付けるもので
壷事件後、1572年8月イエズス会日本報告書での、キリシタンになった青年貴人が尾張の奥方の姉妹の旦那であった事から、この時点では生存していて間違いないであろう。
下京中出出入之帳の政様が、仮に濃姫であったとすれば、亡くなるほんの少し前に上洛した?ということになる。
その後が、何も類推ものすらないのでこの没年を見た時、なるほどと思ったが、いかがでしょうか?
付足しで、足利義昭に嫁いだ虎福女が、信長御台ヒソウでは無く信長ヒソウとなったのは、矢張り濃姫は亡くなっていて、信長が養育したという私の憶測は的を得ていたのでは。
年末に亡くなってるが、正月喪に服してる様子は無い。
が、この正月、そう例の薄濃の年なのです。
これは、どう解釈しようか?
他にも色々あるが、私も今読んだとこなのでまた落ち着いて考えたい。
この論考、去年の発表なのだが、あまり話題にならなかったのでしょうか?
一読して、驚き又、納得する事多く私は支持しますね。
さて先に結論を言いますと、東京お茶の水図書館蔵、「快川和尚法語」にある
雪溪宗梅大禅定尼 小祥忌塔
それに、天正元年十二月二十五日没とあるこの女性が、岐陽太守鐘愛の女性とある。
この岐陽太守は、信長を指す事は間違いなく、そうすればその女性とは濃姫しか考えられないだろうという論考である。
そこで、快川和尚が何故、濃姫の一周忌を挙行したかについては、以前著者が述べられた信長に嫁ぐ以前に、土岐頼純に嫁していたのではないかと言われた事が真実味が帯びてくる。
頼純の居城大桑城と、当時快川の住持していた南泉寺が同じ山県市内なのである。
以前ブログ記事でも触れたが、濃姫の生存を裏付けるもので
壷事件後、1572年8月イエズス会日本報告書での、キリシタンになった青年貴人が尾張の奥方の姉妹の旦那であった事から、この時点では生存していて間違いないであろう。
下京中出出入之帳の政様が、仮に濃姫であったとすれば、亡くなるほんの少し前に上洛した?ということになる。
その後が、何も類推ものすらないのでこの没年を見た時、なるほどと思ったが、いかがでしょうか?
付足しで、足利義昭に嫁いだ虎福女が、信長御台ヒソウでは無く信長ヒソウとなったのは、矢張り濃姫は亡くなっていて、信長が養育したという私の憶測は的を得ていたのでは。
年末に亡くなってるが、正月喪に服してる様子は無い。
が、この正月、そう例の薄濃の年なのです。
これは、どう解釈しようか?
他にも色々あるが、私も今読んだとこなのでまた落ち着いて考えたい。

