平成20年4月19日(土)現地説明会
一年半振りの伊丹。スッポンが出土したというので、出かけた。
場所は、国道沿いのニトリの南側。かなり、大きめの場所で、堀が出てきたと言うので早速拝見。
人出も多く来られていた。
有岡城は、そうがまえが有名で、本丸がある主郭部をぐるりと巡る土居が巡らされていた。
発掘場所は、本丸と上臈塚砦のちょうど間ぐらいのところに、堀があったというもの。
その堀に木が何本添えられているのが残っていて、それは堀に添って塀があったのではとの説明。
その塀は、内側ではなく、外側に有り、不思議に感じた。
スッポンは、まじかで展示されていた。他にも猪の骨なども横に展示されていた。
その後、伊丹図書館と池田図書館へ、北摂の歴史所収の信長が越えた峠を捜しに行ったが、どちらも蔵していず、分からなかった。荒木村重研究会の会報「村重」を拝見。
さすが、村重を題してるだけあって、信長の事は良く書かれていなかった。
太田牛一の子孫の墓が、昔伊丹の寺にあったという。是は、麻田藩に仕えた系統とのこと。
一年半振りの伊丹。スッポンが出土したというので、出かけた。
場所は、国道沿いのニトリの南側。かなり、大きめの場所で、堀が出てきたと言うので早速拝見。
人出も多く来られていた。
有岡城は、そうがまえが有名で、本丸がある主郭部をぐるりと巡る土居が巡らされていた。
発掘場所は、本丸と上臈塚砦のちょうど間ぐらいのところに、堀があったというもの。
その堀に木が何本添えられているのが残っていて、それは堀に添って塀があったのではとの説明。
その塀は、内側ではなく、外側に有り、不思議に感じた。
スッポンは、まじかで展示されていた。他にも猪の骨なども横に展示されていた。
その後、伊丹図書館と池田図書館へ、北摂の歴史所収の信長が越えた峠を捜しに行ったが、どちらも蔵していず、分からなかった。荒木村重研究会の会報「村重」を拝見。
さすが、村重を題してるだけあって、信長の事は良く書かれていなかった。
太田牛一の子孫の墓が、昔伊丹の寺にあったという。是は、麻田藩に仕えた系統とのこと。

