徳大寺 実久

徳大寺 実久

信長の娘、月明院が没した後実久は後妻を迎えた。
井伊直政の息女で、家康の四男忠吉の妻だった女性で、
忠吉没後実家に戻っていた後の事のようである。

その婚姻時期は、分からないが一人女子を産む。
長じて和田飛騨守に嫁した。

実久は元和二年十一月二十六日、三十四歳で没した。
法名は晴雲院月峯秀松
墓所は十念寺(阿弥陀寺の南の寺である)

初めましてさんのコメントに答えたもので、その後を記しましたが、
この後妻へは、大変気を使う相手ではなかったと思われます。
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~ Comment ~

ありがとうございます゜
後妻との間には男子は生まれなかったのですね

ところで和田飛騨守とは?

初めまして様
和田飛騨守。
分かりません(笑
ひっかかってこないので、かなりマイナーな人物のようです。

管理人様、和田飛騨守とは岡山藩の池田家に仕えた方のようです。
20代で家老になったそうなので驚きです。
ちなみに、私の母方の野宮家の宗家も岡山にあります。

感謝

初めまして様
ご教示どうもありがとうございます。
岡山は、意外でしたね。
近江かと、思い込んでました。
備前に縁があるようですね。

和田飛騨守は若くして亡くなっています。
ちなみに、徳大寺家の当主 公継、公清、実時、公俊、公有、公胤 の6名が野宮と号しており、野宮家では最初に号した公継 公が流祖となっております。

初めまして様
重ねてコメント頂きありがとうございます。
夭折の家系のようですね。

早死にですね
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