屋代将曹と信長公記

屋代将曹と信長公記

富山史壇 第104号 1991年3月 越中史壇会
本能寺の変で、討ち死にした矢代勝介が、越中出身の屋代勝俊ではないかと論考される論文である。
谷口先生の辞典でも触れられてるが、関東祇候との公記の記述と矛盾している。

甫庵信長記に、明智軍から汝は他に異なり、退けかしと云ふ者もありけれども、あざ笑って尋常に討ち死にとある。
年数は低いが、信長に殉じた矢代勝介。
逃げた者もあるなか、賞賛してやまない人物である。
この矢代がいたとされる、厩があの発掘調査場所辺りと思っていたが、違う可能性も考えられるよう思えてきた。今後の調査に期待したい。

阿弥陀寺には、残念ながら単独の墓はない。
法名は春慶。過去帳にも御馬乗の記述あり。
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