泰巖宗安記
信長ファンの独り言。
大徳寺総見院墓地
豊臣秀吉によって造営された大徳寺総見院は、勿論信長の墓所として建立されたものだが、その後も織田一族他が葬られている。
信長他、私が調べた範囲で御紹介したい。
*信長と同じ基壇上向かって左から
織田秀雄 月松院殿前相公三品天岩玄高大居士 信雄長男
(江戸で亡くなっているので供養塔であろうか)
織田信雄 徳源院殿正二位実岩常真大居士 信長次男
(分骨という、他に安土山、奈良徳源寺、室生寺、甘楽町等)
織田信長 総見院殿贈大相国一品泰巖大居士
(他十六ヶ所有)
織田信忠 大雲院殿三品羽林仙巖大禅定門 信長長男
(他阿弥陀寺、大雲院、妙心寺玉鳳院、長興院、本源院)
羽柴秀勝 瑞林院殿賢岩才公大禅定門 信長四男
(蒲庵稿に法語有、本墓と思われる)
織田信高 松雲院殿前左金吾性岩心公大禅定門 信長七男
(半泥稿に法語有、本墓と思われる)
織田信好 徳林院殿前左京兆清岩円公大禅定門 信長十男
(半泥稿に法語有、本墓と思われる。施主親戚とあり妻子は
いなかったか)
*その右横
お五徳 月星院殿香巖壽桂大姉 信長長女
*その左横
織田高重 耕雲院心巖宗安居士 信高の長男
(詳細掴めず)
織田信貞 常照院日恵法巖大居士 信長九男
(寛政譜では上行寺。何故か臨済宗に日の字が入った戒名)
*向かって左列北から
? 真照院宝巖貞鍋禅定尼 津田良甫女
(小倉婦人の記録に出て来るので総見院との関りは有)
佐々九郎左衛門長朝 高源院 佐々加賀子、信雄の孫
(雪庵和尚語録 法語有、本墓と思われる)
高濱殿 春昌院殿壽宗鶴大姉 信雄息女
(綱宗禅師語録 法語有、本墓と思われる)
? 養華院殿要津妙玄大姉 信長公御寵妾也
(大仙院に七仏事記有、本墓と思われる)
お鍋の方 興雲院殿月隣宗心大姉 小倉三河守女
(孫津田良甫寛永年間建立の旨、墓石に刻字されてる)
津田良甫 孤逢庵主謙巖宗伝云云居士 信長八男信吉嫡男
(お鍋の方建立者)
織田信吉 小白華院前朝散太夫武州刺史雲巖道ト大禅定門 信長八男
(墓石に水戸津田家先祖と刻字されている文政年間建立か)
振姫 江声院江巖妙錬大姉 信長息女
(水野忠胤室、後佐治一成室。供養塔カ)
? 春光院殿梅巖宗清大姉 信吉息女
(竹森清左衛門室。供養塔カ)
仙石久盛 大興院殿傑山雄公居士 仙石秀久の父
(蒲庵稿に法語有、永禄九年四月四日没なので供養塔と思れる)

織田信吉を中心に同じ基壇上にあるのは、母、妹、孫なので水戸津田氏が先祖供養の為に建てたと思われるが、元々あったものを立て替えたかどうかは不明。しかしながら、お鍋の墓は建立時期が解ってるので、新たに建てた可能性も有る。

雍州府誌に、織田信長、信忠、常真、の次に
花屋壽永尼の塔 信長公の母公なり。
つまり信長の母の墓があったようだが、今は見当たらず。位牌は柳本織田家記録に見受けられるのでか書き間違えか、それとも紛失したか。  
コメント
この記事へのコメント
仙石久盛の墓の件
織田家の菩提寺の中に「仙石久盛 大興院殿傑山雄公居士 仙石秀久の父 」というのがありますが、久盛は織田一族とはほとんど関わりが見出せないのですが、なぜ織田一族の菩提に墓があるのでしょうか?
理由をご存知でしたら教えていただけないでしょうか?

総見院は行ったことがなかったのでしりませんでしたが、こんなにたくさんの一族が菩提に弔われていたんですね。びっくりです。同じ娘でも五徳とお振では扱いが違うのですね。五徳の方がなんだか上座に置かれて扱いがいいように思うのですが…?
2007/07/06(金) 17:58:17 | URL | ねこ #-[ 編集]
ねこ殿
またまたむつかしい質問ですね。
秀吉が信長の為に建立した塔頭でありますが、開山があの古溪宗陳なので仙谷秀久が参禅の弟子でしであったかも知れません。また右側、(東)には市橋長利や井上新介など織田家と関わりない者もいますのでそう不思議ではないと思います。

五徳の墓はご指摘通り扱いがいいように感じられるのは、子が大名として残っていたからでしょうね。

2007/07/06(金) 20:41:44 | URL | k2 #-[ 編集]
なるほど、なるほど、織田家だけの菩提寺だと勝手に思い違いをしていたからいけないのですね。

でもどの検証も「100へぇ」です。
きちんと史料の提示もしてあって、わかりやすいし、素晴らしい考察に脱帽です。

五徳は考えてみたら徳川将軍家の(元)嫁でもあったんですよね。そのへんの配慮もあったのかもしれませんね。
2007/07/06(金) 21:11:21 | URL | ねこ #-[ 編集]
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