尾張の支配者と赤林氏

尾張の支配者と赤林氏

甚目寺町文化財報告書 Ⅴ H6年甚目町教育委員会

あまりというか、全く知られていないマイナーな人物の論考。
赤林氏とは、信長の時代では赤林孫七が当主で、萱津合戦で土蔵弥介、足立清之と共に
討ち死にした。この報告書、この萱津合戦の詳細の他に、清洲中市場合戦について詳しく
また図入りで解説されてる珍しいものである。
清洲方が迎え撃った場所三ヶ所、
山王口、乞食村、誓願寺前等であるがその場所を分かりやすく、紹介されてる。
まず山王口は、甚目寺町大字西今宿にある日吉神社旧跡地ではないかと写真入りで掲載されてる。
また、乞食村の項でも納得する事しきりで、マイナーな合戦を取り上げてる地元ならではの
報告書と言える。
赤林孫七討ち死に後、子の掃部助は信長に仕える事になったが、主君に遠慮して孫七の名を使わなかったという。その後信雄に仕え、長久手の戦勝祝に使者として名が見える(尾参郷土史)

先の記事でも取り上げたが、この辺りも昔は清洲と呼んでいたそうである、また、信長幼時期この辺りで学問を励んでいた地でもある。
この合戦の行程を、機会があれば辿ってみたい。

メモ
清洲から、蟹江までを清洲街道と呼ばれていたのを、近年信長街道と呼ばれるようになったらしい。
蟹江の須成という所に伝信長街道と銘打つ道がある。
こちらも、行ってみたい場所である。
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