面白い資料の紹介。一部抜粋。
宗家織田信包卿略記
天文五年(1536年)尾張古渡城にて城主信秀の第四子として生まれ、幼名を中根殿又は市之佐殿等と云ヘリ。
幼少より温厚謹直にして、兄信長とは性質全く相い反し、戦を好まず、平和を愛し、極めて温順篤実なり。中略
元亀元年四月朝倉討伐の出陣に際しては、領地伊勢より出でて、岐阜城を留守す。
この討伐に際し信長卿背後より浅井勢の襲撃にあい、危険に陥ちんとするの報あるや、小谷の城めざして岐阜城出陣の間諜を、つぶての如くに放たせ、この間諜のとばす流言により浅井勢を二分させて、信長卿の背後を襲う勢力を半減せしむ。この事により信長卿の窮地を救い、無事京へ引き上げの成功をとげる。この功績抜群として褒章アリ。
この記録は信包の第二子信久の子孫(高松市)に残るものという。
宗家織田信包卿略記
天文五年(1536年)尾張古渡城にて城主信秀の第四子として生まれ、幼名を中根殿又は市之佐殿等と云ヘリ。
幼少より温厚謹直にして、兄信長とは性質全く相い反し、戦を好まず、平和を愛し、極めて温順篤実なり。中略
元亀元年四月朝倉討伐の出陣に際しては、領地伊勢より出でて、岐阜城を留守す。
この討伐に際し信長卿背後より浅井勢の襲撃にあい、危険に陥ちんとするの報あるや、小谷の城めざして岐阜城出陣の間諜を、つぶての如くに放たせ、この間諜のとばす流言により浅井勢を二分させて、信長卿の背後を襲う勢力を半減せしむ。この事により信長卿の窮地を救い、無事京へ引き上げの成功をとげる。この功績抜群として褒章アリ。
この記録は信包の第二子信久の子孫(高松市)に残るものという。

