戦国史研究 第55号

戦国史研究 第55号

昨日購入した冊子。
何で欲しかったのか忘れていたが、見て思い出した。
尾崎晋司著 今川領国下の分限帳と給人検地
において、三河の小嶋源一郎という人物が出てくるのだが、この人物と、小嶋民部との関連が気に
なっていたが、この論文自体には、勿論ヒントはない。
しかし、民部の名と、この小嶋氏の共通点はある。
また、じっくり考えてみよう。だから小嶋民部からなかなか抜け出せない。

信長関連の論文では
永禄九年の畿内和平と信長の上洛 和泉国松浦氏の動向から 「史敏」4
というのが見受けられる。
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~ Comment ~

御無沙汰しています。
久しぶりに、貴殿のブログを拝見しましたら、小嶋のことが、書かれていましたので、コメントさせて貰います。
といっても、昨年でしたか、ごくうさんの掲示板に
書かせて頂いた以外の情報は持ち合わせていませんが、。

其長男源一郎正高、清康君(家康祖父)に仕へ、後、広忠卿(家康父)の仰せにより弟源二郎某に采地を分ちあたふ。元亀三年十二月廿二日、三方原(遠江)の合戦に討死す。法名淨永といふ。源二郎ハ兄正高より采地を分ち与へられ、其後逐電して織田右府(信長)に仕ふ。源三正利ハ正高が男なりといふ。三河に生る。」

小嶋正春 小嶋源二郎、改兵部小輔。住勢州。子孫絶。

ところで、小嶋源次郎(兵部少輔)正春の生年の推理が、可能となりました。
それは、兄の子になる、小嶋源三(源二)正利が、1529年には、生まれているので、その父親の小嶋源一郎は、早ければ、1500年頃には、また遅くとも、1515年頃には生まれていなければならないことになるからです。したがって、弟の小嶋源次郎(兵部少輔)正春も、1505年から1520年頃には生まれている筈で、織田信孝兄の、小嶋兵部(民部)少輔より、三、四十年は年長であったということになります。

なお、先日、久しぶりに、ごくうさんの掲示板にも書き込みしました。関係のない話題ですが.....

小嶋殿
本当にご無沙汰です。
元気でしたか。
小嶋みんぶの義父は、その方にと思っております。
いい加減に、完成させないといけないと思っております。また、小嶋殿の御研究成果を参考にさせて頂きたいと、思ってますので、ご了承ください。

ただ、小嶋日向守の母は、岩塚殿で没年が判明しましたので、信長母説が揺らいでいます。

早速、コメント頂きましてありがとうございます。
私は、小嶌日向守信房女というのは、姉妹で、そのうちの一人が、川口久助宗勝の母であり岩塚殿といわれたのだと、豊明市史の記述を理解しております。
 それと、これは全くプライベートな話で恐縮ですが、先だって、私の本名を「小島」と改姓致しました。「小嶋」という文字では認めてもらえませんでした。

小嶋殿
先のコメントおかしかったですね。
すいません。
そうですね、その理解で良いと思うのですが、最近では近江の土田氏の関連も考えています。
どちらにしろ、可児の土田ではないと思います。
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