東大寺龍松院筒井寛秀氏所蔵「蘭奢待切取指図」をめぐって

東大寺龍松院筒井寛秀氏所蔵「蘭奢待切取指図」をめぐって

金子拓著 2004~2007年度科学研究費補助金・基盤研究(A)研究成果報告書 2008年3月24日

先に紹介した蘭奢待に関する、指図の研究書。題を出しても構わないとの事で再投稿。
執筆者は、注目している金子氏。

蘭奢待切り取りに関しては、先の歴読誌織田信長絵本でも触れられていたが、対立していたのではなく、事はすんなり進んでいたのが分かる。
ただ、東大寺は受諾したものの来春とたかをくくっていたものの、すぐに奈良へ下向するという事がわかり、東大寺側もこの風聞に仰天したとは、せっかちな信長らしくて面白い。

背後に侍る小姓衆について、再検討してみると、小姓のメンバーについては本能寺の変の討ち死の衆でしか、名を見受けられないものもいる。
中尾や、中根などは反対側で小姓ではなかったんでしょうか?はたまた、年齢による区分けだったんでしょうか?そういえば、矢部は堂々と前に席が設けられている。
これは、桑名の史料にあるように年配であった証なのだろうか。
小姓衆四人の○○丸、飯川文松、小川愛平とあるがこの○○丸を公記から拾う事はできない。
乱丸はまだ早いでしょうし、小倉松寿がもしかしたら松寿丸かも知れない。
また、中根市之丞は信長弟信照の子と言われてるが、小姓として信長の元へ侍っていたならば、信照は信長の直近の弟ではないかと年齢の逆算から推定できる。
これらの様に、色々考えさせられる面白い資料である。

この指図自体信長の座を室町殿とあるので、著者の言われるように、二次資料と云われるのも分かる。しかし、時代が下がるのならば何故この様なマイナーな人物を選んだのでしょうか?
まだ惟任の姓を名のっていなかった光秀が、惟任と名のっているならば小姓も有名な森乱丸が出てきてもいいだろうと、言いたくなる。

昔、日本テレビ系で追跡という番組があり(故青島幸雄、高見知佳司会)蘭奢待特集があった。
信長が切り取った破片を求めてで、愛知県一宮市真清田神社に残る関氏が信長から拝領したものが残ってる。しかし、箱だけで中身は残ってなかった(笑
しかし、某香道の家元(失念した)には残ってるようだ。
また、蘭奢待ほどの伽羅は原産地である?国でもなかなか取れないらしい。
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