中根家文書 上

中根家文書 上

岡崎市史料叢書 編集 中根家文書編集委員会 H14年3月発行

生没年不詳である、信長の弟中根信照
あまりいい逸話が残ってない不肖の弟。
上記文書に中根氏族譜と題して系図が載せられてる

それによると、中根信照は初信照和泉守 後越中守 後平右衛門
系図の名乗りは、忠實とある。
実織田備後守信秀十男で、家康が養父である正秋に子がない為嗣とするとある
慶長十五年十月十八日卒 六十五 法名観月院殿覚窓浄安居士
1610年没で逆算すると、1546年生まれとなり、有楽斎より一つ上で系図上は合っている。
この系図で注目すべきは、某 中根市之助が信照の子ではなく、養父正秋の弟として載っている。
天正十六(ママ)年六月二日二条城に於いて戦死、洛陽阿弥陀寺に石塔を建てる。

この年ならば、小姓として信長の側に侍っても可笑しくない年齢といえよう。
しかしながら、何故家康の家臣の子が信長の元へ出仕したか不明である。
正秋が三方ヶ原で討ち死にしたのが契機となったか。



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