山口小弁

山口小弁

天正十年六月二日信長、信忠と共に討ち死にした前途有望なる若者が多くいた。
今回取り上げるのは、山口小弁。
公記では、二条御所で御討死にの衆にのみ名が見られる。

翁草には高遠城攻めにおいて、佐々清蔵と共に一番乗りを果たしたという。
また、京都の伏見出身で、賤敷ものの子なり、禿童に抱えられ、後に小姓と成る。
また小歌の上手とある。
そして当時十六歳という。しかし佐々と共に討ち死にの際、素肌にて死ぬのは恥ずかしいとして、
敵中へ突入して、敵を討ち、その屍から具足を取り、着してから切って出て討ち死にしたと言う。












と、ここで終わるのではなく、信雄分限帳に
山口小弁 の名が見え谷口先生の辞典にも子であろうか?と公記の誤りであろうかと述べられてる。
公記は大田の年老いてからの記述で、記憶違いや思い違いもあった様なので、もしかして逃げたのでしょうか?

宰相忠直公御給帳
六百石 山口小弁
と名乗りがあり、信雄改易後どの様な変遷か分からないが、越前へ招かれたようだ。
疑問は、なぜ小弁のまま?同名異人でしょうか?子でしょうか?
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