浅井氏三代

浅井氏三代

人物叢書 宮嶋新一著

まだ買うのを迷ってる上記本。図書館で、気になるところだけ読んできました。
長政の子の、生年について述べられてる箇所について、氏は万福丸を含めて、お市の子としている。
茶々の永禄十二年生年説も、検討に値しないと、バッサリ切り捨てている。
永禄十年生まれを、取られているようだが、翁草を支持してかどうか分からないが、言いきられている。
万福丸が、お市の子では無いから云々のほうが、説得力があるように思うのだがどうなんでしょうか?
婚姻時期はあえてここでは、スルーで。

八 お市との婚姻
の項で、市橋伝左衛門を、市橋長利としている。
これは、私の研究では有りませんが、この市橋は長利とは別人である。
市橋して御物語、誠令祝著候、井口友治著 天下布武第9号
高木「貞久」宛書状の検討 吉田義治著 白山史学 第42号

分かり易く言えば、市橋長利の通称は九郎左衛門。
天正二年の伊勢長島攻めで、信忠の御伴衆に市橋伝左衛門
信長の先陣の項に、市橋九郎左衛門と、両者が別項で掲げられてる所からも別人である。

市橋伝左衛門の初見は、天理本信長記にある村木砦攻めの際、道三の援軍として那古屋城へ来た交名に見られる。つまり道三の家臣で、討ち死に後信長の家臣として活躍するのである。
つまり、ハナから間違っているので、この項の組み立て自体、可笑しな話しとなってしまっている。
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~ Comment ~

今更コメント失礼します

この本のお市の婚礼時期に関して、私もk2さんと同じように思っていました。
「お市が万福丸の母」と言いきってしまう点では、太田浩司氏も根拠にしていらっしゃいますね。
お市以外の女性が長政の側に侍った一次史料がないから…というのがその理由ですが…

万福丸の母については、平井定竹の女である、とする史料もあります。もちろん平井氏であるというのは信憑性が低いでしょうけれど、お市の所生ではないという説が最近になって突然現れたわけではないというのは確かです。
一方、茶々姫が浅井氏の供養をするときに万福丸の供養も同時にしていることから、やはり同母なのだろうか…と思われる要素も。

ただ、双方の主張を読んでいるとこの点に関しては宮島説よりも小和田説のほうが説得力があるように思いました。

万福丸

紀伊様
宮島氏の著書、再読しましたけど市橋のくだり、やはり誤読されてるように思います。といって持論を持ってるわけではありませんが、万福丸は異母だと思います。茶々が供養したのは、同居していたからではないでしょうか。

これはその宮島氏の著書、肖像画の視線で.知ったのですが大徳寺大慈院に浅井の家紋を着した、童児像があり、万福丸かと論考されてます。
 ところで、紀伊様のところでみた信長の母が万福丸を匿ったというのは、どこかに書かれてるのでしょうか?お市がいとこであったとの説がありますが、母系であったのではと、私は思ってます。
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