藤掛永勝

藤掛永勝

羽柴秀勝の家臣で、後に秀吉へ転仕した藤掛永勝。
冬姫や秀勝の母を探って瑞林院や、上林寺など訪ねたのは数年前。
その時疑問に思った事などを書けば、お市三姉妹が小谷城を出る時従った中に、藤掛三河守の名が見える。しかし永勝は、小牧長久手の戦いの際でも、藤掛三蔵として名が見られるので、これは誤りであろう。谷口先生の辞典にもそう書かれている。
ここで、一つ推論をして見る。それは寛政譜にある二歳の時父と別れて、外祖父藤掛善右衛門に養われてとあるのを注目すると、生年は1557年であるから1558年に別れた事になり、お市の嫁いだ最短年に近くなり、父である永継がそれに当たるのかも知れない
また、瑞林院は天正年中笈方行西大徳が建立したのであるが、過去帳によると信長公家来藤懸氏ト云 とあり、この人物こそ永勝の父でしょうか?没年が慶長十六年八月十九日なので、年代的には問題なさそうである。また、冬姫がこの寺、藤掛氏の元へ身を寄せたのであれば、母は藤掛氏縁つまり織田系の人物である可能性もあるが、何も他に資料が無いので不明。
藤掛永勝の菩提寺上林寺にも資料は残っていない。



綾部の山奥に夫婦で葬られている藤掛三蔵。あそこお参りするのは私ぐらいでしょうか。
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