論文他

論文他

「信長公記」未載の信長関係の事跡について
太田牛一は丹羽長秀の右筆だった 染谷光広著
織豊政権と三好康長
信孝・秀次の養子入りをめぐって 諏訪勝則著

以上、織田政権の研究より
を、読み直して見る。色褪せない論文で、これを読まないと、問題の根底が分からないものになってしまう。秀次の養子時期ですが、桐野様の最新刊の該当箇所と読み比べてみると、やはり本能寺の変後に養子入りと見たほうが分がある。
あの書状の塩儀は、小野お通の前夫塩川志摩だと考えているが、康長存命中から、秀次付きとなっていた事による矛盾って何か、考えられないかなと思ってるんですが、資料がないですね。

織田政権の支配の論理に関する一考察 東洋大学文学部紀要55
戦国日本の宗教に関する一考察 同上61 上記二本 神田千里著

信長の研究論文は、色々な分野がありますが苦手な(笑分野ですかね。
もっと信長関係の論文を書いて下さい。

戦国期武田氏の飛騨侵攻と織田信長 柴辻俊六著
史叢 第77号 H19年9月 日本大学史学会

こちらもマイナーな、内容ですが興味ある内容ですが、

織田政権の京都支配における在地支配
村井貞勝の下代の政治的役割について 久野雅司著
白山史学 第44号

こちらは、ある人物に興味があるのですが、こちらはまたあらためて記事にします。
村井の家臣についてでありますが、大変分かりやすい内容になっている。

戦国期幕府奉行人奉書と信長朱印状
山田康弘著 古文書研究 第65 H20年5月20日

信長、義昭の二重政権の有り様を実感できる論文。

高木「貞久」宛書状の検討 吉田義治著
白山史学 第42号 H18年4月

先にも紹介した、論文。
信長の美濃攻略の際、美濃武士の切り崩しを行っていった。
その最古の書状の検討論文。
市橋伝左衛門が、道三敗死後信長に仕えた時期は早く、公記首巻の踊り御張行の事に
一、市橋伝左衛門 弁慶
との記載があり、それを裏付けている。
いっぽう、長利は揖斐郡池田町を本貫としており、まだ斉藤方の家臣に囲まれてる現状から無理がある事を述べられている。
長利の父、利尚を伝左衛門に当てる方もいらっしゃるようだが、長利は天正十三年没の七十三で亡くなっているので、生年は1513年生まれ。
その父となると、巻刊の御張行の時にはかなりの高齢と思われ無理があるように感じる。
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