元秀筆織田信長像の着衣の解釈

元秀筆織田信長像の着衣の解釈

美術史 142 H9年3月 河原由紀子著
お奨めの論文。

織田信長画像で、最も有名なものは愛知県長興寺本を題材にされた論考。
門外不出だった、この信長像が初めて公開されたのは国内では無く、パリルーブル博物館で開かれた「日本武将展」のみでした。
長興寺では、やたらと展示して褪色しては一大事と門外不出になっていたのですが、大河ドラマの年、平成4年6月2日豊田市郷土博物館にて一日だけ初公開されたのが、国内での初お目見えでした。その後は、去年も公開されたように数回あるようですが、あの色鮮やかな人々を感動させるに充分なものは、この様な背景があるのです。
また、この画像が有名な理由は、明治42年東京帝国大学史料編纂掛(現東京大学史料編纂所)で版画として複製され、歴史教材に用いられた。(織田信長事典 西ヶ谷恭弘著 P21)

この信長像、高位の武士には珍しく肩衣袴を着た準礼装の姿である。
この装いにどの様な意味があるのか?
また配色であるが、濃い萌黄の肩衣袴に対して対象的な白の小袖を取り合わせる。
さらに萌黄の肩衣袴と紅の肌着にも、白の小袖を挟んで対象的な補色の配色関係が見出される。
これは、全体的に京風の色彩感覚が強く認められるという。
この白小袖に絵具が剥落して見にくいが、桐唐草の織文様がある。
この桐紋をめぐる時代背景から見ると、束帯姿で表すよりも遥かに信長の威容を讃えるものであったろうと論じられる。
ちなみに大徳寺本と報恩寺本の肩衣袴像の小袖にも桐紋が認められる。

そして、この白綾の着用は中納言以上とする故実とを対応させると、右近衛大将権大納言に叙任された天正三年(1575)十一月以降で、信長は白綾着用の資格を得た事になる。
また、この叙任から信長以外に白綾を着用できた武士は誰もいない。
つまり、信長一周忌の時に白綾を着用できた武将は、画像主である織田信長以外誰もいなかったということになる。
これを読むまで、鮮やかな緑色の肩衣に目が行っていたが、実はこの白小袖を映えさす為であったのかと驚き、また感心する。
最後に著者は、信長の人柄を公記や、フロイスの日本史を引用し、伝統を打破して次々と新しい施策を断行し、
服飾においても同時代人の耳目を集めるような華美な装いを好んだと伝える。
だが、シンプルで華やかで、しかも格調高いこの準礼装の信長像は、当時の服飾慣行を忠実に具現していると指摘できると締めくくられている。
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信長像は、常時見れませんし、他に見るべきものもありませんし、そんなに詳しくありません。
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