快川国師の生涯(九)

快川国師の生涯(九)

快川と濃甲同盟 横山住雄著
これは、斉藤義棟(竜興)と武田信玄の奉行との同盟に関して触れられた論考。
ここでは、信玄に面会した時が触れられているが、その建物は金銀で飾り立てた素晴らしいもので
あったと記されている。
ドラマ等では、武田の館は地味なものだが、実際は違うようである。
しかし、実際の同盟は斉藤氏側の原因で遅延したらしい。
それは、信長による犬山城攻めと鵜沼城攻略があった為である。
横山氏は犬山攻めを、奥野氏の永禄七年を否定し、永禄八年説を提唱されている。
本稿で、東大印哲の瀧田文庫の「異本葛藤集」があり、その中に、元亀四年(1573)の東庵宗暾による
「青龍山瑞泉禅寺方丈再興上堂」の語に、
永禄八年二月二十二日、此山伽藍、回禄の変に罹り、焦土に尽成すと記されいる。
これにより瑞泉寺の炎上した時期が確定すると共に、犬山城落城に関しての一つの傍証となる。
信長は、この二月二十二日に犬山周辺を焼き払ったものと思われ、公記にあるように鹿垣を巡らした事になる。
横山氏の資料発掘には、脱帽するとともに、今後も新たな資料を期待したいものです。
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