近江茂賀山城主、天正十年六月二日没。功徳院殿義天仙忠大居士
母は信長叔母で幡松院殿信榮妙眼大姉。父は瑞周軒で姉川の戦いで討死。
妻は尾州楽田城主梶川一秀の女 没年不詳貞松院秀眼妙玄大姉
茂賀山城は岐阜と安土を結ぶ中間点にあり、半日で到着するほどの距離
である。
ある日信長は茂賀山城に立ち寄り即興に書いた書が下記のものである。
年毎夏日吾好める 宇無どんに小林正國の もとへまねかれて人々の往
事を思い出て
信長
うんよけりゃ どんな人でも 珍重す うんどんなれば 人にくわれつ
夏になると信長は小林家に招かれて「宇無どん」つまり今日のうどんをもてなされたようである。そのうんどんに人の運命のよしあしをかけて作ったのがこの歌である。
人の運が強ければどんな人でもその人物も貴重にして使うが、うんどん すなわち運が鈍で運が無くなれば、又運の良くない人物は「うどん」のように他人に食われて滅びてしまう。という意であろか。
信長らしい歌であり?大変興味深い。
天正十年五月廿八日安土城中にて明智光秀御打被遊候處の鉄扇有故て正敏に被下置
小林家家譜には上記記述が記されていて興味深い。しかしその鉄扇は現在小林家には無いそうである。
小林家史伝 小林弘著 1985年
母は信長叔母で幡松院殿信榮妙眼大姉。父は瑞周軒で姉川の戦いで討死。
妻は尾州楽田城主梶川一秀の女 没年不詳貞松院秀眼妙玄大姉
茂賀山城は岐阜と安土を結ぶ中間点にあり、半日で到着するほどの距離
である。
ある日信長は茂賀山城に立ち寄り即興に書いた書が下記のものである。
年毎夏日吾好める 宇無どんに小林正國の もとへまねかれて人々の往
事を思い出て
信長
うんよけりゃ どんな人でも 珍重す うんどんなれば 人にくわれつ
夏になると信長は小林家に招かれて「宇無どん」つまり今日のうどんをもてなされたようである。そのうんどんに人の運命のよしあしをかけて作ったのがこの歌である。
人の運が強ければどんな人でもその人物も貴重にして使うが、うんどん すなわち運が鈍で運が無くなれば、又運の良くない人物は「うどん」のように他人に食われて滅びてしまう。という意であろか。
信長らしい歌であり?大変興味深い。
天正十年五月廿八日安土城中にて明智光秀御打被遊候處の鉄扇有故て正敏に被下置
小林家家譜には上記記述が記されていて興味深い。しかしその鉄扇は現在小林家には無いそうである。
小林家史伝 小林弘著 1985年
この記事へのコメント
こんにちは!
信長が読んだ歌はあまり伝わっていないので、今回の記事は非常に興味深いものがありました。
恥ずかしながら小林左馬充正國という人物も今回初めて知りました。
まだまだ知らないことばかり、ky2さんのブログ非常にためになります。
遅くなりましたが、私の方もリンクさせていただきました。不都合であればリンクはずしますのでお知らせください。
では、今後もよろしくお願いします!(笑
信長が読んだ歌はあまり伝わっていないので、今回の記事は非常に興味深いものがありました。
恥ずかしながら小林左馬充正國という人物も今回初めて知りました。
まだまだ知らないことばかり、ky2さんのブログ非常にためになります。
遅くなりましたが、私の方もリンクさせていただきました。不都合であればリンクはずしますのでお知らせください。
では、今後もよろしくお願いします!(笑
織田創様
コメントありがとうございます。
リンクもしていただけるとのこと重ねて御礼申し上げます。最後の笑は?
コメントありがとうございます。
リンクもしていただけるとのこと重ねて御礼申し上げます。最後の笑は?
2007/06/24(日) 22:09:16 | URL | k2 #-[ 編集]
たんなる笑顔のご挨拶のつもりですので気にしないでください。
では、また見に来させていただきます。
今後の更新も楽しみにしてます。
では、また見に来させていただきます。
今後の更新も楽しみにしてます。
2007/06/25(月) 20:26:43 | URL | 織田 創 #RoHUgdWQ[ 編集]

