雪姫様の家系に触れまして、ある系図には載っているが、違う系図には漏れている。また、長幼順が違う、、、、等。今回は系図載らない超マイナーな人物に付いて御紹介したい。
フロイス日本史の秀吉の12章に
関白の政庁には、いずれも十七歳になるかならぬかの二人の高貴な若者がいた。両人は近親の間柄にあり、一人は信長の息子で三吉殿、他は信長の姉妹の子でクマノスケ殿と称した。
とあり、注釈でもどの姉妹かは明らかにされていない。
このクマノスケは佐治秀方室後、細川昭元室つまりお犬の方の子、中川秀休ではなかろうか。佐治八郎とお犬の方との間にはニ男一女があったのであるが、長男は有名な、二代将軍秀忠の正室お江与の初めの夫佐治一成、そして次男がこの中川秀休である。
秀休は初め織田熊之丞を名乗り秀次に仕え、傷害後豊臣秀保に仕えたようである。(霊光院所傳の傳歴)
この熊之丞こそクマノスケではないであろうか。
中川秀休は後、前田家に仕えたようだが、墓は京都龍安寺霊光院にあった。
法名功岩全忠禅門、寛永四年七月廿ニ日没
*現在お犬の方、佐治一成、中川秀休墓の三人の墓と思われる墓があるが、
お寺側は分からないとの見解になっている様である。織田信包の墓も同所にあるが、同様である。ちなみにどちらも観光客が入れないところにあるので注意を要する。
フロイス日本史の秀吉の12章に
関白の政庁には、いずれも十七歳になるかならぬかの二人の高貴な若者がいた。両人は近親の間柄にあり、一人は信長の息子で三吉殿、他は信長の姉妹の子でクマノスケ殿と称した。
とあり、注釈でもどの姉妹かは明らかにされていない。
このクマノスケは佐治秀方室後、細川昭元室つまりお犬の方の子、中川秀休ではなかろうか。佐治八郎とお犬の方との間にはニ男一女があったのであるが、長男は有名な、二代将軍秀忠の正室お江与の初めの夫佐治一成、そして次男がこの中川秀休である。
秀休は初め織田熊之丞を名乗り秀次に仕え、傷害後豊臣秀保に仕えたようである。(霊光院所傳の傳歴)
この熊之丞こそクマノスケではないであろうか。
中川秀休は後、前田家に仕えたようだが、墓は京都龍安寺霊光院にあった。
法名功岩全忠禅門、寛永四年七月廿ニ日没
*現在お犬の方、佐治一成、中川秀休墓の三人の墓と思われる墓があるが、
お寺側は分からないとの見解になっている様である。織田信包の墓も同所にあるが、同様である。ちなみにどちらも観光客が入れないところにあるので注意を要する。

