論文 他

論文 他

全国の濃姫ファンの皆様、「郷土文化208」に、帰蝶の墓について 山田寂雀著
という、論考があるようです。早く読みたいものです。

織田信長の美濃侵攻、統一と足利義秋の上洛 加藤彰彦著 駒沢史学69
織田信長茶会の再検討 犬山徹也著 「上越社会研究」 22
織田信長関係イエズス会書翰研究序説 織田信長初見史料、1568年10月4日付ルイスフロイス
書翰の考察 松本和也著「 研究キリシタン学」 H19年12月
以上 3点信長の論文が出ているのを抜粋しました。手に入れるの難しそう。

津本陽氏と井伊達夫氏との対談本を少し拝読。
信長の項は少しだけですが、津本氏はここでは、抜け穴説は否定し黒幕は長谷川と堀が怪しいと
述べていらっしゃいます。意外でしたが、井伊氏は聞き流していらっしゃるようでした。
井伊美術館は、前名中村甲刀修史館が出来た際、拝観させて頂きました。
この本にも載ってました、信長の兜(西洋風)とか、有楽斎へ与えた兜、軍配など見させて頂きました。
その後、歴史街道にも取り上げられた、塙直政へ与えた甲冑でも話題になりました。
一度見てみたいと思いながら、、。

先に記事にしました伏屋城。
織豊興亡史再読。ここも、伝承なので決め手はなさそう。
武功夜話異聞の著者の事が、ここでも取り上げられていた。

信長と征夷大将軍 奥野高広著 国学院雑誌 第83巻第3号通巻899号 S57年3月
源頼朝の任官との比較は、興味深かった。
また、よく聞く右近衛大将で幕府が開けるまた、義昭の征夷大将軍と同等などを読み比べるには、
もって来いの論考。古い論文ですが。
後北条氏の縁辺の件、疑問に思われてるようですが、取次ぎした瀧川からこの女こそ、後の三の丸殿ではないかと、個人的には感じてる。生年から類推するに。

光秀の子孫が伝える 美濃、明智古戦史 明智光秀正傳 荒深弥左エ門著 S49年11月26日
上記、大変なネタになるコピーを頂きました。
前略 本能寺は爆発物によって吹っ飛ばされたらしい。青い目の修道士達の見た信長と家康の間は通史が伝えるような好ましいものではなかったようだ。中略
信長に狙われた家康は丹波亀山城に在城していた斉藤内蔵介に本能寺襲撃を依頼したという。
狙われる前に狙えというわけである。斉藤道三の娘奇蝶がこれに加担した。

・・・・・絶句

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~ Comment ~

越前は朝廷の直轄領で 伊勢神宮の荒木田神主系の方の白太夫が 国家公務員として派遣され その配下に地方公務員の忌部の織田荘もあった様で 白太夫の一部の子孫は土着し 今原子炉もんじゅの近くにいる 源平の頃平家の領主で 清盛の子が西方に都落ちに 男子を近江八幡に逃がし 元領主下の忌部の養子になる したかって織田と名乗る信長の本性は 藤原であり平家でもある 熱田神宮千秋氏の外戚の 南朝宗良親王の末の津島神社氷室神主の国風 また東海の堺の津島を領し 織田は歴史の表にでる 伊勢神宮が応仁の乱以後 遷宮もままならない神宮を 信長は保護し今日のはじめを確立した 浅井を通じ信長とまた浅井の三姫と 浅井も織田も近江源氏山本清順伊勢慶光院と外戚も 信長の歴史的位置を決めた 歴代伊勢慶光院の裏に白太夫出す護良内宮社家が君臨していた 仙

k2殿、お久ぶりです。

「駒沢史学」は国会図書館の関西館にも在るようですが、あとの二つは無いみたいですね。
奥野氏の論文はなるべく早く読まねばなりません。

津本氏の「抜け穴説」云々は、所謂「爆破説」の自己否定でしょうか?
最後のそれは、やはり八切○夫の小説の○○○でしょうね。

伊勢の仙様
途中で終わってしまってますが、、、

Tm殿
情報ありがとうございます。
関西館ですね、隣は悪名高き仕事館です。
あれが出来る時、何が出来るのかと思ってましたら、
案の定(笑
津本氏の対談本、機会がありましたらどうぞ。
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