信長の宿老林佐渡守と松永久秀の臣林若狭守

信長の宿老林佐渡守と松永久秀の臣林若狭守

日本歴史 361号 1978年6月号 歴史手帖 染谷光広著

この論考は、信長の家老の林の名乗りが何故道勝になった事を述べられている。
それは、林若狭守が道勝だからが、そもそもの出発点で、その誤りの元となったのは、
織田真記で、その影響を受けた武徳編年集成、野史、系図纂要等に引き継ぐ事になる。
織田真記は大和戒重城主であった、織田長清が大和の出身である林若狭守の名前を知る事ができなかったのか?興味が惹かれると述べられてる。

昨日も話題になったが、染谷先生も同じ事を述べられてる箇所がある。
諱の分からない人物、また公記と矛盾する資料などなどドツボに嵌って行って面白いのだが(笑
スポンサーサイト
Guide
  •  …この記事と同じカテゴリの前後記事へのページナビ
  •  …この記事の前後に投稿された記事へのページナビ
 

~ Comment ~

  ※コメントの編集用
  シークレットコメントにする (管理者のみ表示)

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

MENU anime_down3.gif

同じカテゴリの記事が一覧表示されます
同じタグの記事が一覧表示されます
更新月別の記事が一覧表示されます
キーワードで記事を検索