和田惟政と甲賀武士
和田晋次著 H20年2月
今年はじめ、安土の浄厳院へ行った際、和田惟政の墓がここにあると寛政譜にあるとの記述から、
広い墓地を探索したが、分からなかった。
この本に写真が掲載されている。墓地入り口近くのようだった。
この本で、岸和田のW氏所蔵の事跡が掲載されている。
それによると、和田惟政は母数馬氏で、室岩室長門守宗順女とある。
法名 善福院殿鐵玄宗意大居士
岩室長門守といえば、信長のお気に入りの小姓。
年代的にも、合わないので、父でしょうか?岩室氏じたい甲賀武士五十三家にあるので、別人でしょうか。
さて、話しは題とは違うが、この岩室長門守、信長のお気に入りで、小口攻めで岩室が討ち死にすると、その死を嘆き、公記には御惜み大方ならず。と記されてる。
その後、桶狭間で一緒に駆けた、同じ小姓の加藤弥三郎が、岩室に似ていると理由で、岩室勘右衛門と名を改めさせられます。
信長は、あだ名を付ける事が好きだったようであるが、名字?まで変えられた弥三郎の気持ちって、どんなものだったのでしょうか?
その後の岩室勘右衛門は、、、(次号へ
今年はじめ、安土の浄厳院へ行った際、和田惟政の墓がここにあると寛政譜にあるとの記述から、
広い墓地を探索したが、分からなかった。
この本に写真が掲載されている。墓地入り口近くのようだった。
この本で、岸和田のW氏所蔵の事跡が掲載されている。
それによると、和田惟政は母数馬氏で、室岩室長門守宗順女とある。
法名 善福院殿鐵玄宗意大居士
岩室長門守といえば、信長のお気に入りの小姓。
年代的にも、合わないので、父でしょうか?岩室氏じたい甲賀武士五十三家にあるので、別人でしょうか。
さて、話しは題とは違うが、この岩室長門守、信長のお気に入りで、小口攻めで岩室が討ち死にすると、その死を嘆き、公記には御惜み大方ならず。と記されてる。
その後、桶狭間で一緒に駆けた、同じ小姓の加藤弥三郎が、岩室に似ていると理由で、岩室勘右衛門と名を改めさせられます。
信長は、あだ名を付ける事が好きだったようであるが、名字?まで変えられた弥三郎の気持ちって、どんなものだったのでしょうか?
その後の岩室勘右衛門は、、、(次号へ

