桶狭間・信長の「奇襲神話」は嘘だった

桶狭間・信長の「奇襲神話」は嘘だった

藤本正行著 洋泉社 2008年12月

先に紹介した、新刊。信長の戦国軍事学の続編と思われる。
信長の戦い1と有り、続編もあるようです。それは、近年発表されてる方への反論が、著者を動かしたようだ。
それは、一つに黒田氏の論文、乱取状態急襲説。
それと、ほんの少し前に出た橋場氏の迂回奇襲説。
そして、「桶狭間の真実」太田満明氏への反論。
このうち、太田氏の反論で、藤本氏は、冒頭で内容が自分の著作である、信長の戦国軍事学とかぶっている事を指摘され、かっことじで、五十もあげられてる参考文献に、自分の名がない事を上げられてる。
これは、私もおかしい事だと、指摘したが、逆に名前を上げない事のほうが、はずかしいように思うのですが。

さて、太田氏の丸根砦での論考の反論として、村木砦での攻略記事で
犠牲者に涙した信長と題して
信長御小姓衆歴々其員を知らず手負・死人、目も当てられぬ有様なり。中略 御本陣へ御座候て、それも~~と御諚なされ、感涙を流せられ候なりとあり、つまり信長は「お前も死んだか。お前も死んだか」と涙を流したというエピソードを、意地悪な見方をすれば、単なるポーズだったとも言えると述べられ、家中から不満が出ないように振舞ったとしめられてる。
この辺りが、ファンである私とは違い、私的な感情を入れられてない所が、研究者である所以でしょうか。
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~ Comment ~

返答

すでに洋泉社を通じて藤本氏にも伝えたことを以下記す。
1、五十あげた主要参考文献に藤本論文が載せられているのが最低でも3つはあること。岡本良一編『織田信長事典』や学研の歴史群像シリーズなど。
2、『桶狭間の真実』は、後書きにも触れたが、別の題名で七年前に脱稿し、高名な大学教授にも目を通して貰ったこと。その時点で、講談社学術文庫の藤本氏本は出ていなかったこと。当時は、残念ながら、藤本氏の本は所持していなかったこと。
3、初稿は、藤本氏の名を挙げ、その細部をいちいち批判していたが、藤本氏との論争が目的の本でもなく、または氏にも失礼とも思い、その部分は手直しをした(藤本氏も当初は大変苦労をされたことを聞き知っていた)。ついでに言えば、『桶狭間の真実』で最も伝えたかったのは、信長気取りで人々を苦しめる管理職や政治家への批判である。信長は、たぐいまれな勇将であったと、あの本にも充分に書いたつもりである。
 以上、少なくとも、すでに1、2は藤本氏にも伝わっていることなので。
 
 

  • #515 『桶狭間の真実』の作者 
  • URL 
  • 2008.12/23 22:39 
  •  ▲EntryTop 

う~ん、どうでしょうね。
藤本さんのご本の初版(JICC出版局)は18年も前ですし、ご論考に至っては26年も前のことですからね。

ちなみに当時、自分も信長ファンとして『信長の戦国軍事学』は当然の如く購入しましたし、そのご功績は広く知られているところですから、掲載している参考文献に紹介されているから、論争が目的ではないので敢て挙げなかったと言って、どれだけ同意を得られるかは疑問ですね。

そのことで反って要らぬ詮索を招いたのは確かでしょうね。失礼ながら立ち読みで済ましてしまいました。

 『織田信長事典』所収の論文を参考にしただけで、充分に書けたよ。この論文だけでは不可能かどうか一読か再読してみては?藤本氏の本は、それだけの内容なら買うべきだったと今では思うが…(土地制度の本ばかり読んでいたもので)。ただ、こうなっては、初稿にもどって、藤本氏の桶狭間論に関する疑問点をあれこれ論じてみるしかないと思っている。
 以前、立ち読みではなく、買ってしまった…、とコメントしていたのでは?批判は批判として買ってくれたことには感謝していたのだが。
 
  • #518 『桶狭間の真実』の作者 
  • URL 
  • 2008.12/24 20:14 
  •  ▲EntryTop 

本物の作者さんでしたらごめんなさい。以前のコメントを確認したところ、確かに購入していましたね(笑
現在、行方不明なので探してみます。

ただ、『事典』のそれで「初稿は、藤本氏の名を挙げ、その細部をいちいち批判していたが」とすれば、それはそれで問題だ思うのですが・・・

 無論、今度はいろいろな藤本氏の本を読み込んで論じてみるつもり。
 それと、このサイトは、信長ファンのサイトのようだから、あえて一言。
 中古店に売り飛ばしたのではなく、万一見つかったら『桶狭間の真実』の137ページを一読願いたい。あれだけ信長を批判した者が、あのように書かざるを得ないほど、信長はやはり戦闘指揮官の武将としては卓越していたのだろうということ。142ページあたりでも、つい批判の経緯を忘れて、信長に見入るようにああいう風に書いてしまった。自分でも、どうか、と思ったが、そのままにした。信長ファンが多いのも宜なるかな、とも思う。しかし、あの本の目的は、すでに述べた通り。
 それと、これは他の人のサイトのよう。これ以上のコメントは控えたいと思うけど。
  • #520 『桶狭間の真実』の作者 
  • URL 
  • 2008.12/24 22:23 
  •  ▲EntryTop 

「桶狭間の真実」の作者様
本当に太田様なんでしょうか?
ちょっと、今頭がまわらないので、あらためてコメントします。

Tm殿
私に変わりまして、どうもありがとうございます。
講談社のは、信長の戦争でしたっけ?
また、コメントします。


本物の作者
  • #522 『桶狭間の真実』の作者 
  • URL 
  • 2008.12/26 19:53 
  •  ▲EntryTop 

返信

「桶狭間の真実」の作者様
遅くなりました。ご本人にコメント頂けるとは、思ってもみませんでした。
概ね、Tm殿が言ってくれましたので、再度、同じ事を述べるのはどうかと、思いますので、控えます。

桶狭間本が出るとすると、藤本説にどの様に反論するか?と言うのが、多分読まれる方は、初めに思う事だと思うのですが、桶狭間の真実には、それがなかったので、ブログで指摘させて頂きました。
誰が、一番初めに言い出しのかと言うのは、私は、凄く大事な事だと思ってます。

私の事ですが、養華院が信長寵妾と言う説を大徳禅寺世譜などで見い出して、発表したら、柳本織田家記録所収の、総見院の記述から、広く知られている事でした。また、小和田先生の辞典にも、既に、活字になってました。
私の経験から、恥ずかしい事と、コメントさせて頂きました。お気に触りましたら、ご勘弁下さい。


 以前、
 藤本氏のことが嫌いなのかもしれません
 と私のことを推察していたので、逆にあえてコメントしませんでした。嫌いもなにも、正面奇襲説を主張して苦労した方と聞いていました(ただし、繰り返しますが、単独で出された本は、今度の本が出るまでは、持っていませんでした)。
 今回、その藤本氏の本が出て、私の本のことに触れ、自分の名前がない、とあったので、洋泉社にも電話で事情を述べ、こちらへもコメントする気になりました。
 藤本氏なら、本人が『事典』へも他の歴史群像シリーズへも寄稿し、何もかも承知のはず、と思っていました。だから、私の説に対する批判はともかく、自分の名前がない、という記述は、アレッ?という感じでした。
 すでに、その藤本氏から自説が批判を受けたので、言いますが、藤本説に対する、批判の用意は(氏が本の中で私の説を批判した内容をそっくりそのままお返しする部分を含めて)、あります。兵数を比定し、『信長公記』の記述を追えば、従いがたい箇所は実に多いのです。その一部を、あの本に書いたつもりですが、藤本氏に対する要らぬ遠慮は、なるほど必要なかったのでしょう。
 なお、信長ファンのこのサイトのみなさんに、私の本が、どう読まれたか察するに余りありますが、私は別に信長嫌いでもありません。
 信長は、史料の中の人物であり、かれを素材として、現代に何を訴えていくかを考えるべき対象だと考えています。戦闘指揮官としての信長を高く評価するのも、そう考えているからです。
 
  • #524 『桶狭間の真実』の作者 
  • URL 
  • 2008.12/28 16:17 
  •  ▲EntryTop 

首巻

K2殿どうも。
そして太田さん、先のコメントでは失礼しました。ご本は決して売り渡していません(笑
未だ未発見ですが。

兵数については橋場さんも指摘されていますが、総数で2.000というのは確かに少なすぎますね。
そのうえで、橋場さんのブログでコメントさせていただきましたが、抜け駆けで大敗した千秋・佐々隊に利家らが参加していたとするのは、彼らのその後の行為からしても認め難く、藤本さんも「正面突破ありき」という前提で『信長(公)記』を読まれているのは否めないと思われます。
牛一には、桶狭間の勝利を神憑り的なものに演出する意図があったと考えます。

そしてなにより、牛一直筆の「首巻」は未だ発見されていないということも重要なことではないかと思っています(特に「天理本」については、かぎやサンのご考察を支持します)。

本編15巻が評判を呼べば、当然それ以前のことについても牛一は訊ねられたハズです。おそらく「首巻」は最晩年に著されたものであり、年次の誤り?当等、牛一の記述姿勢、条件にも考慮すべきものがあり、余りそれを素直に読みすぎると、反って事実を見誤ることになるのではないか(全くの嘘ではないが)というのが自分の思うところです。

ちなみに本編15巻にすら、誤りはもとより記述を避けたと思われる出来事(光秀との係等々)がありますし。

天理本

Tm殿
橋場様の柴田が、と言うのは驚きでした。
理由はないですが、善照寺に留まっていたと思ってましたので(笑
あとがきで、触れていらっしゃいますけど
今後新たな材料など見つかったり、同じ材料でも違う見方が検討されたりすれば、当然変わっていく可能性がある。それが歴史を探る醍醐味であり、新たな考えに柔軟に対応するのが歴史を愛する者の義務でもあろうと思う。
と、述べていらっしゃいます。
私も同感で、信長がどれぐらいの兵数を率いていたか、活発になるであろう、論考に期待してます。

何回も書いてますが、桶狭間について、議論できるほど知識がありませんが、天理本のレクチャーを受けた者から見ると、かぎや様の論考は、違和感を覚えますが、、、

記述を避けたのか、知る事ができなかったか(信忠との仲直り)など色々考えさせられますね。

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