佐久間信盛自筆書状
思文閣古書資料目録 第百二十九号 善本特集 第四揖
もっと早く知っておけば良かった。
女性史に興味ある専門家がいないせいか、ひっかかってこなかった。
宛先は不明。先日「普賢寺」にて「御牧方」が申された事を話しあいたいので、林七左を早くよこしてほしい。また、あなたから「堀帯刀」へ書状を遣わしてほしいなどと伝えている。
年不明ながら、十一月五日付。本文書は追放からさほど遡らない時期と論考されてるので、天正七年でしょうか?
問題は、この「御牧方」は信長の妻妾の一人か?
と、あるが、「御」がついている事からの推定であるが、信長縁の女性である事は間違いない。
牧が、名字であるのか、名前であるのかが興味の惹かれる所であるが、名前であるならば、信長縁の女性では二人目と言う事になる。
この文書、重要なのは信長意向を持った「御牧方」が、大坂の普源寺(門真市)まで下向した事が、誠に興味深い。何故、堀や矢部などでは無く、女性を遣わしたのか?
追放の伏線があったのでは?と憶測したくなる文書である。
もうひとつ指摘したいのが、天正七年であれば、光秀の妹「御妻木」が、まだ存命であるので、妻木氏の名が、「牧」であった可能性も否定できないのでは、無いでしょうか。
そういえば、伝説ですが岐阜県明智町に光秀の母お牧の方の墓所がある。
光秀母イコール「牧」と言うのは、何か出典があるのでしょうか?
ご存知の方、ご教示下さい。
ちなみにこの文書二百八十万円。
もっと早く知っておけば良かった。
女性史に興味ある専門家がいないせいか、ひっかかってこなかった。
宛先は不明。先日「普賢寺」にて「御牧方」が申された事を話しあいたいので、林七左を早くよこしてほしい。また、あなたから「堀帯刀」へ書状を遣わしてほしいなどと伝えている。
年不明ながら、十一月五日付。本文書は追放からさほど遡らない時期と論考されてるので、天正七年でしょうか?
問題は、この「御牧方」は信長の妻妾の一人か?
と、あるが、「御」がついている事からの推定であるが、信長縁の女性である事は間違いない。
牧が、名字であるのか、名前であるのかが興味の惹かれる所であるが、名前であるならば、信長縁の女性では二人目と言う事になる。
この文書、重要なのは信長意向を持った「御牧方」が、大坂の普源寺(門真市)まで下向した事が、誠に興味深い。何故、堀や矢部などでは無く、女性を遣わしたのか?
追放の伏線があったのでは?と憶測したくなる文書である。
もうひとつ指摘したいのが、天正七年であれば、光秀の妹「御妻木」が、まだ存命であるので、妻木氏の名が、「牧」であった可能性も否定できないのでは、無いでしょうか。
そういえば、伝説ですが岐阜県明智町に光秀の母お牧の方の墓所がある。
光秀母イコール「牧」と言うのは、何か出典があるのでしょうか?
ご存知の方、ご教示下さい。
ちなみにこの文書二百八十万円。
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「オマキ」か「ツマキ」か
こんばんは。
本年もよろしく。
旧年中の話題ですみませんが、読み直してみて、感じるところがありました。
以前、歴読07年11月号で「一乗院門跡尊勢得度と織田権力」という拙稿を書いたことがありました。和田裕弘さんが安土城天主倒壊の記事を載せたのの関連記事です。
そのときも感じたのですが、前田綱紀収集の『松雲公採集遺編類纂』に出てきた光秀妹の名前が「ツマ木」か「御マ木」か解読に迷ったのです。そのときは『言経卿記』天正7年5月2日条が「ツマキ」、同記9年8月条に「御ツマキ」とあったので、それに従って「ツマ木」と読んだのですが、果たして「御マ木」とは読まないのかという疑念がずっと頭に残っていました。
「御」と「ツ」のくずし字の違いはなかなか判別がつきにくいですからね。
ちょっとした加減で、どちらかで読んでしまう公算は大です。
ご紹介の文書は「御牧方」が「ツ牧方」でないとは言いきれないかもしれませんね。
あと、「普賢寺」ですが、「普源寺」でないなら、山城国綴喜郡田辺町の普賢寺かもしれません。もしそうなら、近衛前久の所領ではないでしょうか(『信長公記』天正6年6月条参照)。
私が歴読で書いた記事でも、得度した尊勢は前久の長男です。「ツマ木」は近衛家との取次をしていた可能性がありますね。
いずれにせよ、大変興味深い史料だと思います。
本年もよろしく。
旧年中の話題ですみませんが、読み直してみて、感じるところがありました。
以前、歴読07年11月号で「一乗院門跡尊勢得度と織田権力」という拙稿を書いたことがありました。和田裕弘さんが安土城天主倒壊の記事を載せたのの関連記事です。
そのときも感じたのですが、前田綱紀収集の『松雲公採集遺編類纂』に出てきた光秀妹の名前が「ツマ木」か「御マ木」か解読に迷ったのです。そのときは『言経卿記』天正7年5月2日条が「ツマキ」、同記9年8月条に「御ツマキ」とあったので、それに従って「ツマ木」と読んだのですが、果たして「御マ木」とは読まないのかという疑念がずっと頭に残っていました。
「御」と「ツ」のくずし字の違いはなかなか判別がつきにくいですからね。
ちょっとした加減で、どちらかで読んでしまう公算は大です。
ご紹介の文書は「御牧方」が「ツ牧方」でないとは言いきれないかもしれませんね。
あと、「普賢寺」ですが、「普源寺」でないなら、山城国綴喜郡田辺町の普賢寺かもしれません。もしそうなら、近衛前久の所領ではないでしょうか(『信長公記』天正6年6月条参照)。
私が歴読で書いた記事でも、得度した尊勢は前久の長男です。「ツマ木」は近衛家との取次をしていた可能性がありますね。
いずれにせよ、大変興味深い史料だと思います。
おはようございます。
桐野様
コメントありがとうございます。
今年も勉強させて頂きます。
私も、普源寺と聞いて、京田辺市の近衛領かなと思いました。記事は、解説文を参照しました。
コピーを送りますので、以後の妻木の論考にお役に立てて頂ければうれしいです。
コメントありがとうございます。
今年も勉強させて頂きます。
私も、普源寺と聞いて、京田辺市の近衛領かなと思いました。記事は、解説文を参照しました。
コピーを送りますので、以後の妻木の論考にお役に立てて頂ければうれしいです。

